外宮での参拝を終え、内宮へ向かった私でしたが…
内宮の正面の進入路である猿田彦神社のあるところから参拝者の車で渋滞し、全く動かない状態…
(((;゚д゚)))
「これでは内宮に着くまでに陽が暮れてしまう」と考えた私は、急遽ルートを変更し、皇大神宮(内宮)の別宮伊雑宮(いざわのみや)に向かったのでした。
伊勢志摩スカイラインを通り、朝熊岳(あさま)から見える眺望は抜群
本当は…朝熊岳山頂にある伊勢神宮の鬼門を結界する金剛證寺に行きたかったのですが、今回は時間の都合で、山門の前にて合掌するに留めたのでした…。
((-.-;))南無!
朝熊岳・金剛證寺
この写真は前回撮ったものです。
伊勢神宮の鬼門を守る霊場として神宮の「奥の院」と呼ばれ…
お伊勢参らば朝熊をかけよ
朝熊かけねば片まいり
と…昔より伊勢巡礼の人の間で唄われた伊勢音頭の一節に出てくる、弘法大師・空海ゆかりのお寺でもあります。
伊勢神宮と言う日本の総社を擁する伊勢ですが、神社仏閣が多いと思いきや、意外とお寺が少ない事は知られておらず…
神宮を結界するお寺がある事をお話しさせて頂くと驚く方が多かったりもします。
((。。;))
神社仏閣をパワースポットとする最近の風潮ですが、そうした場所を巡っている方のお話しを聞くに、お寺と言うと…墓場を結界している様なイメージがあり「怖い!」と言う方もいたりで…笑
(((;゚;Д;゚;)))
そうした事も一因して、神社に人気が集まる傾向がある様です。
伊雑宮に到着!この神社も伊勢巡りの中で私の好きなスポットでもあります
この現世を生きる時、好む好まぬとに関わらず俗世の垢にまみれてしまうのも私達人間でもあります。
そんな時『氣』の良い神社で手を合わせる時…力を頂くと言う考え方もあるかも知れませんが…そこに気高い高次のエネルギーや御神気に触れる時、ただただ、有り難い気持ちになるものです…。
※伊雑宮の御神木…正面に立っていると表情を持ち、語りかけてくるかの様なエネルギーを感じます。
私達も神の子供であり、神の一断面である事を思い出させてくれ、利己的に生きていた自分がうっかり忘れていた優しさや慈悲や謙遜に気付かさせてくれる働きもそこにはあるに違いありません。
人間が本来持っている光り輝く部分…それは本来足したり引いたりするものではなく、あるがままの己の姿…
「素直に自分を生きなさい!」とそれは語りかけてくる様でもあり
((゚m゚;))
これだけ長い間伊勢神宮が日本人に愛されてきた理由は、現世利益に預かりたい気持ちはあっても…そこに強いる説教や経典が無く、訪れる誰しをも包み込む圧倒的なエネルギーがある事…
エネルギーや波動と言う言葉さえなかったいにしえの時代を生きた人から、現代を生きる人まで、肌身に感じてわかるからではないでしょうか…?
φ(.. )
神道が感じる宗教と言われる由縁もそんなところにあるのかも知れません…。
伊雑宮を後に内宮へ向かった私…到着時には渋滞も解消され、無事駐車場に車も入れ、おかげ横丁でしばしの休憩
それでも多くの人で賑わう内宮でした。
伊勢神宮を流れる五十鈴川…この川の水の浄化作用は抜群で、少々頑張り過ぎて曇った水晶のブレスなども、五十鈴川の水に暫く浸けておくだけで、たちまちクリアになります。
内宮を訪れると、天照大御神が女神である事を感じさせる柔らかい御神気に満ちています
外宮、内宮のエネルギーの違いを感じる人も多い様ですが、それは訪れる私達のその時々の在り方や変化、変容も手伝っての事なのかも知れません…。
遥か悠久の昔より変わらぬ光りがそこにはあったに違いありません…。
内宮を出ると既に夕方…
東京へ帰る前、深紅に染まる素晴らしい夕焼けを撮る事が出来ました。
前回伊勢を案内してくれた太江寺の密賢さん…その直後、阿闍梨(あじゃり・正式な密教僧)に成るべく、醍醐寺の伝法学院に入り、約一年に渡る修業に入ったのでした。
伝法学院の厳しさは、真言僧の「虎の穴」と言える場所かも知れません…
私が得度から加行を終えて京都の寺院にて伝法灌頂を受けた時…伝法学院を成満したばかり(じょうまん・修業を修了の意味)の若き僧侶と一緒になりましたが、4時間、5時間、6時間(計10数時間)と正座の姿勢で居ても、身じろぎひとつしなかったその姿に感服した思い出があります…。
(((;゚д゚)))
私が東京へ帰る前に、太江寺の御住職が「彼も(密賢さん)今まで他の宗派で僧侶を志して途中で挫けてしまった事もあった様です…。今回も一度休みの時に帰って来た時も 帰りたいです…と口から出かかったのですが…でも、今回は成満すると思います。正仙さん…人間は過去に、周りに迷惑をかけたりへこたれたりした時があっても、いつかは成満し様とする生き物なのですね…。」と語ってくれたのでした。
住職の弟子を見つめる視点の暖かさと言うものが、こちらにも伝わる様でもあり、聞いてる私も思わずグッときたのでありますが…
((-.-;)))
私はここで修業を礼賛するつもりはありません…僧侶の特殊な世界の事でもあります。
でも、この御住職の言葉…お寺の世界だけでなく、私達の住む世界に置き換えて考えたいものです。
どんなに転んでも失敗しても…ヘタレな自分をそこに認めても…
いつか人間は自分と言う蓮(はちす)の花を咲かせる生き物である事…またそうせずにはいられない生き物であるに違いありません…。
訪れる人の心を捕らえて離さぬ伊勢の魅力…来年の春には太江寺に帰ってくる密賢さん…一皮剥けて帰ってくるであろう彼と共に伊勢を巡る日が今から楽しみな正仙であります。
合掌