一杯のざるそば

密教僧侶ヒーラー正仙「法名」-i.jpg

先日ケーブルTVを見ていたら「男はつらいよ」が放映されていました…。

子供の頃、葛飾の中川沿いで育った私にとって懐かしい下町の風景がいっぱい出てくる映画でもあります…。

下町の子供の遊びと言うもの…メンコや相撲にザリガニ釣り、ローラースケートなども流行りでよく子供の頃、転んでは膝小僧を擦りむいたものでした…笑

ゴミ捨て場にあったパンクしていた自転車を家に持ち帰ると、当時屑商をしていた父が嫌な顔ひとつせず乗れる様に修理してくれたものです…。

子供の頃は怖い父でした…。

タクシーの運転手もしていた父でしたが、子供の頃、母の髪をわしづかみにし引きずり回す姿…どれだけ母と共に出刃を持ち追いかけてくる酒乱の父から逃げたかわかりません…。

向こう三軒両隣、父が短気を起こし荒げる声を出すと、近所から聞こえていた話し声がピタリと止み聞きいっている様子が子供ながらにわかるほどでした。

当時は近所にも親切な方がいっぱい居て…

あせる正ちゃん!こっちに来なさい!早く!あせる」と逃げる母と私を匿ってくれる方もいたりで…そこでご馳走になったカレーライスの味は今でも忘れません…笑

でも、とても人情味がある父でもありました…。

東北の奥地、寒村の農家の4男坊として生まれ、中学卒業後、集団就職で蒸気機関車に乗り東京にやって来た父…

生まれて初めてお蕎麦屋さんに入りざるそばを注文したと言います…。

しかしながら、田舎者の父はざるそばの食べ方を知らずに、汁を上からぶっかけてしまったそうであせる

周囲に居た人からは「どこの百姓だ~ビックリマーク」と笑われたそうです…。
(=_=;)(^皿^)

そんな時この蕎麦屋の女将が「むかっチョット!あんた達!何がおかしいの!黙りなさい!」と周りで笑うお客を怒鳴りつけた上で…

赤面する父の元に新しいざるそばを持って来てくれたそうで…「お兄ちゃん、気にする事ないからね…ざるそばはこうして食べたらいいんだよ…。」と食べ方まで親切に教えてくれたと言います…。

この時の事を父は生涯忘れる事がなかった様で…人の情けのありがたさと言うもの…

よく寅さんを見ては涙ぐんでいた父でもありましたが…兄弟が多い為、口減らし同様に東北から出てきた父にとって、故郷はどこまでも遠く懐かしく時に冷たい存在だったのかも知れません…。

私が中学の頃よりグレ始め家にも寄りつかず、鑑別所から少年院にも行き、そんな私がたまに実家に帰った時など「何しに帰ってきたビックリマークむかっ」と言う父と喧嘩になり、私が殴った一発のおかげで父の歯が揺らぎその後しばらくして抜けてしまったと言います…。

その抜けてしまった歯を大切にしまっておいたと言う父…

手に追えない悪タレ息子でも、その成長ぶりをそうした形で記念に留めておこうとしたのでしょうか…

そんな父がガンの転移で亡くなり幾久しい年月が過ぎましたが…

親の恩愛山より高く海より深し…そうした事に思いあたる事が出来る様になった時はもう父は逝ってしまった後でした…。

私が子供の頃、酒を飲んではカセットテープで田端義夫(昭和の演歌、歌手通称バタヤン)の大利根月夜と言う歌をそれこそどじょうすくいの様な格好で踊りながら歌っていた父…

この歌は昭和40年生まれの私が歌う様な演歌ではないのですが、刹那的に生きる昔の渡世人の心情を謡う内容が好きで、極道当時などもよくカラオケでカラオケ歌ったものでしたが…

そんな心のどこかで父を懐かしんでいたのかも知れません…

私達が寅さんに惹かれるのは…人間が時には弱く不健全で未完の生き物であるから…

だからこそ許し愛すべき存在である事をその深いところで知っているからではないでしょうか…。

合掌

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