※自坊聖天・ガネーシャ仏像です。ガネーシャ信仰の本場ネパールの高名な仏師に彫像して頂いたものです。
今日もアメブロ読者の方が続けてセッションに訪れてくれて嬉しい一日となりました。
今日16日は大聖歓喜天(ガネーシャ)のご縁日…古来よりその効験の現れの早い事で知られる聖天様ですが、ガネーシャは人生の障害や障魔を、巨像が前を歩き踏み潰すかの如くパワフルな働きをする神として知られています。
日本の密教寺院(真言宗や天台宗)でも、今日16日のご縁日に聖天浴油祈祷を厳修しているお寺も多いに違いありません…。
しかしながら昔より秘仏扱いを受けた聖天は、賞罰の激しい神として恐れられた歴史があり、そうした名残もあってか、聖天を祀るお寺でも、その姿を一般の信徒の前に見せる事はないのです。
私は以前、ネパールを訪れた時に長い歴史を誇るガネーシャを祀るヒンズーの寺院の僧侶と通訳を交えて話す機会がありました。
その時にこのヒンズー教の僧侶は私に言ったものです。
「何故?日本のお寺ではガネーシャを隠して一般の方に見せないのでしょうか…?こんなに暖かく素晴らしい働きをしてくれる神なのに」と…
これには私も返す言葉がなかったのです。
((=_=;))
ネパールを見渡して見れば(インドも同様)寺院ばかりでなく、一般の家や商店や学校に至るまで、そこかしこに愛嬌のあるガネーシャの仏画や仏像が飾ってあります。
それは限りなくOPENであり、ネパールの全国民に愛されている親愛の情をそこに感じるばかりだったのです。
日本とネパールの民族性の違いや宗教観の違いはあるかも知れませんが…そんな枝葉の問題ではなく、人間としての神との関わり方を大きく考えさせられた旅でもありました。
ガネーシャと言えども「神」のひとつの原形であると言う事…
その源は愛に違いないのです。
そこに恐れや制限を設けているのは他ならぬ私達人間であると言う事に気付かされたネパールのヒンズー僧の言葉だったのです。
今日のセッションを終えた後で聖天華水供養を勤修しました。
ガネーシャは学問の神、書く事をサポートしてくれる神でもあります。
奇しくも聖天ご縁日の今日に発売になった漫画実話ナックルズ…こんなところにも日頃より愛しているガネーシャの功徳を感じるばかりです。
派手なグラビアの仕上がりに、自坊の聖天様も心なしか微笑んでいてくれている様でもあります。
合掌