【伊勢神宮から太江寺のつづき】
(旅のガイドをつとめてくれた太江寺の密賢みっけんさんです。)
内宮をあとにした私と密賢さんは一路、朝熊岳(あさま)へ向かいました。
朝熊岳・金剛證寺
伊勢神宮の鬼門を守る霊場です。
お伊勢参らば朝熊をかけよ
朝熊かけねば片まいり
と、昔より伊勢巡礼の人の間で唄われた伊勢音頭の一節に出てくるほどのお寺であります。
伊勢神宮と言うと…外宮や内宮は知っていても、その鬼門を守るお寺がある事を知っている人は少ないのかも知れません。
神宮の「奥の院」と呼ばれる金剛證寺は…平安時代に真言密教の開祖、弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を極めました。
その後時代の変遷と共に衰微し、現在は臨済宗南禅寺派、別格本山であります。
写真に撮る事が出来ず残念ですが、御本尊の虚空蔵菩薩は日本三大虚空蔵菩薩の第一位として…見事としか言い様のない荘厳な美しさと、邪気の留まる事を許さぬ清浄なオーラに包まれていました。
その威容に私は固唾を飲むばかりだったのです…。
堂内は澄み切った塵ひとつ許さぬ様な凜としたエネルギーに満ち溢れ…さすが伊勢神宮を結界し守ってきたその歴史を感じさせるものがあります。
伊勢神宮の奥の院とも言われるこのお寺…本堂には御本尊の虚空蔵菩薩とともに天照大神をお祭りし、神仏集合の歴史を色濃く残しているのです。
このお寺には弘法大師(空海)が掘ったとされる池があり、今だ悠久の時を経ても枯れる事なく穏やかな水面を保っていました。
日本全国いたるところに弘法大師の超人ぶりを示す霊験、奇談には事欠きませんが、高野山の水銀を含んだその地質を見抜いた眼力や…
現在のダム工場の基本を成す様な、掘割治水やダム工法に空海は熟知していた様でもあり、そうした優れた地質学者としても、多くの方を救った逸話も全国のいたるところで残され語り継がれているのです。
金剛證寺をあとにした私と密賢さんは、志摩市へと向かいました。
伊雑宮(いざわのみや)
皇大神宮(内宮)の別宮です。
私は今回この社を訪れたのは初めてですが、鳥居をくぐり神社の敷地に足を踏み入れた時より感じる抜群の気の良さ!
足の裏のフットチャクラがグラウンディング(地球の中心と繋がる事)の強さを教えてくれていました。
(゜д゜三°Д°)
知る人ぞ知るパワースポットと言われる伊雑宮…敷地は内宮の半分にも満たないながらも、神々が住まう地である事をありありと感じさせるものがあります。
「シャラ~ンシャラ~ン」と…
社の周囲を囲む森林の間から神楽鈴の音さえ聞こえくる様な…
それはまるで、天照大神がこの土地に降臨した悠久の彼方にタイムスリップした様な幻想的な空気さえ漂わせていました。
神道系の霊能者の中には、神社や神宮を訪れ、本殿の前に立った時などに…
「ここに神様はいらっしゃいません。」
「今は留守で(神が)出かけてらっしゃいますね。」
などと言われる方もいるのですが、私も最近つとにそうした事を感じる様になりました。
しかしながら、伊雑宮の本殿の前に立ち手を合わせる時…そこに神がしっかり鎮座しているであろう事を身体の五感がしっかり知らせてくれていたのです。
祈りを済ませた私と密賢さんは再び二見浦へと向かったのでした。
【つづく】