私は少し前に酒井法子の覚せい剤の事件に対する記事を書いた時がありました。
しかしながら、かく言う私も、若き日には多量の覚せい剤を一度に打ち過ぎ、生死の境をさ迷った時があったものです。
薬物汚染と言われる状況は今に始まった事ではありません。
ただ、当時は酒井法子や押尾学の事件に見られる様な吸引や錠剤が主流ではなく、私が十代や二十代の頃と言うのは覚せい剤を使用すると言えば、注射器を使用するそれだったのです。
注射針を身体に突き刺す行為とは違い、錠剤や吸引によって覚せい剤を体内に取り込む事は罪悪感も少なく、こうした事が青少年の間で合法ドラッグなどを始めとする薬物が蔓延する下地になっている様な気がします。
私がまだ十代の頃などは、覚せい剤をパケ売り(小さなビニールに数回分の覚せい剤が入っているもの)をしている『売り子』と呼ばれる売人達がたくさんいたものでした。
注射器なども、まだ薬局で安易に買えた時代でもあります。
そうした覚せい剤の密売をしている人間の家に行くと、覚せい剤が織り成す奇妙な人間関係を間近で見せらる時があったものでした。
それはポン中(覚せい剤中毒者)ワールドとでも言うべきものであり、十代の頃そうした溜まり場に行くと…
見事な手つきで覚せい剤を注射器に吸い上げて身体に入れる密売人の周りには、これまたネタ(覚せい剤)欲しさに集まる人間達がいたものです。
今思えば、それはさながら教祖様と信者の様な関係とさえ言えるかも知れません。
売人は覚せい剤を買いに来る客を『患者』と隠語で呼んだりもし、「患者にとって俺たちはエンジェルです!」と、覚せい剤の密売をしている事に誇りさえ持っている様な物言いをする人間もいたものでした。
そうした場所には薬欲しさに女性も来ていたものですが…
身体が受け身である女性にとって、覚せい剤を使用する事は心の淋しさを埋める事であると同時に、SEXの快楽にそれは直結し、満たされぬ飢餓感を生み出し、常習へと強くプログラミングされるものがある様で、覚せい剤を使用し始めると、まるでアリ地獄に嵌まる様に抜け出せないと言うのが本当のところかも知れません。
当時も、覚せい剤欲しさに密売する人間に身体を許してしまう女性もいたものでしたが、もしそうした事を今、エネルギーレベルで見たならば、双方のエネルギーが入り乱れ、カルマの連鎖をそこに見出だす事が出来たかも知れません。
勿論、男性も同様で、覚せい剤の事件で繰り返し逮捕され服役している芸能人の清水健太郎や田代まさしが刑務所から出所する度に…
「覚せい剤を使用し歯が溶けてしまった…。」
「今度こそ薬物とは縁を切る!」
などと言いながらも、何度となく同じ過ちを繰り返すのを見ても分かる様に、覚せい剤や薬物中毒に陥った人間がそこから脱却する事の厳しさと言うものも、そこにはある様な気がします。
生きる事への不安や恐れから逃れる様に、覚せい剤を使用した時に得られる快感なども、僅かひと時の幻想であり、それに比べてはるかに大きい罪悪感、自己否定から発する恐れは、その人間のエネルギーに克明に蓄積されて行き、それらが引き金となって、その恐れから自分の目を背けたいが為に、さらなる薬物の常習へと、猛烈な欲求、衝動を引き起こすメカニズムがそこにはある様です。
私が若い頃は、今の様に注射針からも感染するエイズや、C型肝炎ウィルスの認知度も低く、ひとつの部屋で同じ注射器で覚せい剤の回し打ちをするケースも多く、他人の肝炎や病気をもらい身体を痛め寿命を縮める人間も多かったのです(刺青も同様。)
覚せい剤を使用すると、頭の髪の毛が逆立つほどの快感が走るとはよく言われるところですが、私はそうした経験をしたのは後にも先にも十代の頃に初めて覚せい剤を使用したその時ただ一回だけでした。
元々、身体に合わない事もあってか、中毒に陥らずに済んだだけなのかも知れません。
覚せい剤中毒に陥る多くの人間が、初めの快感を忘れられずに、その後の使用でも多少の高揚感を経験出来る事から依存してしまうのかも知れません。
二度と来ない快感を求め出口のないスパイラルに陥ってしまうのです。
そしてそれは、警察に逮捕されるその日まで続くのです。
私は刑務所にも入りましたが、今でも全国どこの刑務所でも薬物事犯の収容者の占める割合は多いのではないでしょうか…?
刑務所は罪の償いをし更正の為にある施設でもありますが、その実、犯罪学校の側面もあるのです。
それぞれの犯罪のエキスパートの人間達が集まる刑務所は『犯罪の見本市』の感があり、真面目に更正を決意してしている人もいれば、「今度こそは娑婆に出たら捕まらずにウマイ事やってやろう!」と全く反省の『は』の字も持たず…笑
お互いのやり口や犯罪の手法を披露しあい、ともすれば仲良くなった者同士で手を取り合い、更正どころか犯罪に向けてそこに友情やロマンさえ見出だし、社会での再会を約束している人間達の縁を発生させる世界でもあります。
まさに『懲りない面々』の集う場所でもあるのです。
覚せい剤や薬物の使用によって服役している人間も同様で、捕まった時は後悔し「これを機に覚せい剤をやめよう」と思っても、喉元過ぎれば何とやらで…
刑務所では、同類の人間達は事欠かないほどいる上に、自分の覚せい剤の密売の武勇伝などを語る同じ受刑者を見ている内に、更正の決意もグラついてしまう実情と言うものもそこにはあるのです。
私が最後に服役した時なども同じ舎房(八人ほどの部屋)の殆どが覚せい剤などの薬事犯でした。
その中にはまだ二十代後半の若い人間もいましたが、話しを聞けば、鑑別所から少年院、少年刑務所から再犯刑務所へと繰り返し繰り返し、覚せい剤の使用や所持といった罪状で捕まり、中学を卒業以後、その大半を塀の中で過ごしていたと私に話してくれた時がありました。
その様な人間にとって、娑婆に出て実社会で順応して行く事は『恐怖の娑婆』の一言であり、その人間は自ら「僕は表に出てもすぐ戻って来てしまうと思います。(刑務所に)」と寂しそうな顔で私に語っていたのを今でも思い出す事があります。
覚せい剤の中毒から立ち直ろうとする人間にとって、『環境』と言う問題が大きく立ちはだかる時があります。
2年~3年の刑期を終えて出所してくる時、覚せい剤で汚染された血液も綺麗に入れ変わり健康体で社会復帰するものの…
「待ってました!」とばかりに、以前の覚せい剤の仲間が待っているケースも多いのです。
そして頼みもしないのに、出所した人間への『御祝儀代わり』と称し、覚せい剤を用意し、その人間に出所早々に覚せい剤を体内に入れる様にすすめてくる輩ももいるのです。
その時に、その人間達の誘いを断れるのか?誘いを断る事はある面その人間達に今後「交流を断つ事を宣言する」事でもあり、それまでの仲間内の非難や攻撃に晒される事も覚悟しなければならない人生上の大きな決断の時でもあるのです。
これが出来ずに「まあ、一回だけならいいか…」と身体に覚せい剤を入れたが最後、後は塀の中に一直線と言うのが、私が極道当時に見てきた、覚せい剤中毒に陥る人間の殆どに見られるパターンでもありました。
【つづく】