おはようございます!

朝のお勤め前のひと時です。

最近はTV等を見ても、市川海老蔵のスキャンダルが取り沙汰されていますが、そんな報じられるニュースの在り様を見ていると、この日本と言う国は、何とも平和な国だと思わず感じてしまうものがあったりします。

先日、お不動様を熱心に拝んでいる方とお会いする機会がありました。

その方は私に「市川海老蔵も成田山(新勝寺)とあれだけの縁がありながら、今回の件ではお不動様の御加護にあやかる事が出来なかったんですかね?」と、少々訝る様な表情を見せ、私に尋ねてきたものです。

『成田屋』で知られる市川家は、お江戸の昔より成田山とは縁の深いお家柄でもあります。
市川海老蔵夫妻が成田山で仏前結婚式を挙げたのもまだ記憶に新しいところ…

私はその方に「私は海老蔵は以前から酒乱の気があるのは感じていましたが、お不動様の御加護があればこそ、今回の程度で済んだとは思えないですか?」と逆に答えたのでした。

私は市川海老蔵のTVでの記者会見を見た時に、彼の発する言葉に見え透いた『嘘』がある事を感じたりしたものです。

一見酒を飲んでの偶発的なトラブルに見えますが、そこにはそこに至るまでの彼の飲酒癖の積み重ねと言うものもあったに違いありません。

そしてとうの昔に彼自身に見直すべき事としてサインは送られていたに違いないのです。

私達人間は、神仏に祈願を立てる時に自分のうしろめたい部分には触れずに、万事自分に都合の良い事ばかりを並べ立てて祈る、業の深い生き物なのかも知れません。

神仏に手を合わせる時にチクリと感じる胸の痛み…
それは心願成就を願う前に自ら改めるべきものがある事

自らの中で落とすべき何かがある事を神仏が教えてくれている時があるものです。

梨園の御曹子として何ひとつ不自由なく育ってきた彼が初めて遭遇した人生の試練なのかも知れません。

彼にどの程度の信心の気概があったのかは知りませんが…
例えそれが御家のもたらす縁からのものであっても、不動護摩の炎の前に座り手を合わせる時、強い浄化作用をもたらし、お不動様が彼にあえて人生の蹉跌を踏ませたのかも知れません。

大難は小難に、小難は無事に…

神仏の意図するところは常に私達人間の魂の歩みに沿ったものであるはずです。

自分自身の深いところから送られてくる声に耳を傾ける事(感情やフィーリング)はとても大切な事でもあります。

そうしたものを無視して、何を祈ったところで一時的には効を奏する様な幻を見せられても、繰り返し繰り返し自らに改めるべき事がある事や、落とすべき何かがある事に立ち返る様な出来事がばかりが、目の前に現れるのではないでしょうか?

今日は聖天様(ガネーシャ)の御縁日、これより聖天供養法を勤修いたします。

世界平和と共に読者のみなさんの身体健全と心願成就を小さな自坊よりお祈りさせて頂きます。

世界の生きとし生けるものすべてが幸せであります様に…。

合掌

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