生かされている自分…薬物私記②

私が少年院に入っていた事は以前の記事にも書いた通りですが…
私はその少年院でも反則を繰り返し、中等少年院から札付きのワルが行く特別少年院に不良移送(素行が悪く移送される事)されたのでした。

移送される時と言うのは、塀の外に出る事でもあり、「社会見学」をもじって、シャバ(娑婆)を見る事から、『シャバ見(ケン)』などと隠語で呼んだものでした。笑

護送用のバスに乗り、さらにフェリーに乗り行き着いた先は真っ白な高い塀と鉄扉がそびえ立つ、泣く子も黙る特別少年院…

漫画『あしたのジョー』のモデルになったと言われる少年院でした。

この少年院の空には鳶が群れをなして舞い、高く張り巡らされた鉄条網からは広大な太平洋の海が見え、グラウンドに出ると風に乗った潮の匂いがしたものです。

海岸にある戦時中に使用されたと思われる砲台には、風の強い日など、数メートルはあろうかと思われる高い波が打ちつけていた光景と言うもの、今でも鮮やかに思い出す事が出来ます。

私はこの少年院で三羽烏の様に意気投合し、兄弟分になった二人の男がいました。

それぞれが地元では中学生の時より名うてのワルであり、一人はその腕力の強さから喧嘩で相手を植物人間にしてしまったヤクザの若い衆…

もう一人も地元では知らぬ人間のいない『厄ネタ』で(危険人物の事)恐喝100犯を自称するヤクザでありました。

そして、それぞれ地元では暴走族を傘下に従える、覚せい剤の売人でもあったのです。

特別少年院と言うところは犯罪傾向が著しく進んだ少年が入所する施設でもあり、この二人にしても、初等、中等、特別少年院と、まるで犯罪のエリートコースを歩むが如くの様な生き方をして来ていたのでした。

特少(特別少年院の略)を出ている人間は、不良の世界で『金筋』などとも呼ばれる事から、当時はハクが付いた様な気持ちになったものです。

意気投合した私達三人は施設の中でも派閥を形成し、新入の肩身の狭い内から先に入所していた古い院生達と対立する一方では、院生から『先生』と呼ばれる少年院の教官にも反抗を繰り返したものでした。

猿山のボス争いと言う形容が、ピッタリの場所だったかも知れません。

舎房の中では、花札を固い紙で模してつくり(これ自体が規則違反)廊下から足音を忍ばせ院生の違反を摘発し様とする教官の目を盗んでは、部屋にいる皆で、唯一のご馳走であるメンチカツやたまに『特食』として支給される饅頭などを賭けて熱くなったりしたものです。笑

舎房(しゃぼう)とは本来刑務所での独房や雑居房を指す言葉で、少年院では、少年の矯正教育の為の施設として、クリーンなイメージを大事にしたいのか?単独室、集団室などと言う学校の教室の様な呼称が用いられていました。

そんな私達にもそれぞれ巣立ちの時がやってきました。

出所後それぞれが自分の地元へ帰っていったのです。
しかしその内の一人が渡世上の兄貴分と喧嘩になり、組織を飛び出し私の元を頼ってきたのでした。

ヤクザの世界では、他の組織に籍のある人間を拾いあげる事は御法度と言う不文律があるのですが、彼の渡世上の名前(源氏名と同じ)を変えて活動する事で解決を見たのでした。

まだ成人間もない二人…
同じ組の身内になれた事を喜びあったものです。
若いながら腹も据わり、何をやらせても抜群の機転を見せる彼が、当時の私の親分の目にとまるのに時間はかかりませんでした。

程なくして彼は上部団体の組長の付き人として、組長の秘書とボディガードを兼任する大役に抜擢されたのです。

私は兄弟分の昇進が嬉しくもあり「頑張れよ兄弟!」と励ましたものでしたが…
ところが彼には大きな問題があったのです。

それはこの人間が『大』がつくポン中(覚せい剤中毒)だった事にあります。

「こいつの身体の何処に、一体こんな量のシャブ(覚せい剤)が入るんだ!?」と思わずにいられない程に、自らの腕に注射針を立て、覚せい剤を注射するのでした。

そして面白い事に覚せい剤が体内に入っている時の彼は温厚で素直な上に几帳面になり、事務所の風呂の掃除などを始めた日には、延々と掃除を1時間も2時間もしているのです

クスリ(覚せい剤)が効いている内は電話の応対や諸事万端そつなくこなすのですが、クスリの効果が消え失せる『切れ目』と呼ばれる状況になると、イライラし始め、後輩の組員に八つ当たりを始め、挙げ句の果てにはダウンしてしまうのです。

日中でも半日寝ている状態で、夜になると覚せい剤を身体に入れ元気を取り戻し、まるで夜光虫の様な生活パターンを繰り返していたものです。

彼が抜擢された組長付きと言う役職は、文字通り組長に付き、秘書として時にボディガードとして緊張を強いられる仕事でもあり、自分の睡眠時間など考えている様ではとてもつとまるものではありません。

私などもヤクザの駆け出しの頃は上の人間と一緒に車に乗っている時など、食後などは特に眠気に負けそうになる事があり、そんな時は後で黒くアザになるほど腿を自分でつねりあげたものでした。笑

組長の付き人として、親分と呼ばれる人の車の助手席に乗っている時にクスリの『切れ目』の彼は コックリ、コックリ…と居眠りをする様になったのです。

当然、後ろの席に座る親分からは「コラ~ッ!居眠りこいとんのか!このボケが~!むかっ」と、烈火の如く怒声を浴びせられる日が続く様になったのです。

私は兄弟分のこうした状態を看過する事が出来ず、ある時彼を呼び出し「兄弟…自分の顔を鏡でよく見てみろよ!蝋人形みたいな顔しやがって、今なにが自分の足を引っ張っているのかわかっているんだろう?兄弟にクスリを止めろと言ったところで馬の耳に念仏かも知れんが、このままじゃ身体が潰れちまうじゃねえか!」と言うと…

「頭ん中じゃやめなきゃならねえとはわかっちゃいるんだよ兄弟…」と殊勝な面持ちで語る彼が半ば気の毒でもあったのですが…

私は心を鬼にして「寝言言っとったらあかんぞ兄弟、見てみろ!兄弟と一緒にお付き(付き人の事)をしているあいつはてんで根性がなくたって、上の人間のヅケ取り(ご機嫌取り)がウマイし、朝は早くから起きて、上から言われた事はとりあえずはするから、今となっちゃ、兄弟よりもよっぽど重宝がられているのがわからねえのか兄弟よ…?」

「すっかり薬で目がフシ穴になったんじゃねえのか?そんな情けねえ人間と俺は兄弟分になったつもりはねえぞ!むかっ」と…

喧嘩になる事も覚悟で、厳しく言い放ったのでした。
私とすれば兄弟分を侮辱するつもりは毛頭ありませんでしたが、彼の不良としてのプライドにでも訴えていかない限り、聞く耳をもたぬと当時の私は思ったのです。

初めは顔色を変えた彼でしたが、私の言わんとする事を理解してくれたのか…
「心配かけて悪かったよ兄弟、俺も今日限りでクスリはやめるよ。」と答えるのでした。

でもそれも束の間…

その後も覚せい剤を使用し続けた彼は組織から落伍していったのです。
組長付きも降ろされ、上の人間も周囲も「あいつはどうせシャブボケしているんだろう!」と…

誰からも相手にされなくなってしまったのです。

彼は兄弟分である私さえ避ける様になり、口実を見つけては居心地のいい自分の地元に帰る様になっていました。

そしてある日、音信不通になったのです。

覚せい剤に溺れたがゆえに、はぐれ者の集まる極道の世界からも落ちこぼれて行こうとする私の兄弟分…

当然の如く、組からは破門の沙汰が下された彼でしたが、私には別の思いもありました。

それは、その頃この兄弟分が付き合っていた女性が気持ちの優しい気立ての良いしっかりした子だっただけに、二度と組に戻る事が無くとも、どこかよその土地で一緒に所帯を持ち幸せに暮らして行って欲しいと思う気持ちも心の片隅にあったのです。

しかしそれから半年ほど過ぎたころに彼から私宛てに一通の手紙が届きました。

それは彼の地元の拘置所の気付で送られてきたもの…
封筒を開けると、私との音信を断った彼は相変わらず覚せい剤を常用し続け、地元の後輩達を組織して窃盗団を作り盗みを働かせ、さらに盗品を売買していた容疑で逮捕されたとの内容で…

文章の終わりには「兄弟の言う事を聞いていればよかった…」と悔いている様子がありありと綴られていたのです。

結局彼は四年程度の実刑判決を受け少年刑務所に服役するのですが…
それだけではすまないドラマが彼を待っていたのです。

服役した刑務所で、彼は配役された工場で、冒頭で出てきたもう一人の兄弟分と再会したのです。
しかしながらこの時の彼は組織から破門された、ただの『堅気』にしか過ぎず…

もう一人の兄弟分は、若手ながらヤクザ組織の幹部として刑務所の工場の中でも幅を利かせる存在になっていたのです。

刑務所と言うところは、その秩序を保つ為に受刑者同士の間で堅気(刑務所の中ではちょうこうと呼びます)とヤクザとの区別や差別がハッキリ確立されているのです。

ヤクザの一家や組に所属していない人間は、全て一様に『堅気』の扱いを受け、別の言い方をすれば、B級市民の扱いなのです。

堅気の人間がヤクザに対して敬語を使うのは勿論の事、何かにつけ圧力を加えられ、しわ寄せを食うのは堅気の人間で、26才迄の血気盛んな人間を収容している少年刑務所に於ては、特にこの傾向が強いものがあるのかも知れません。

【つづく】

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