インド料理店にて…カルマの闇②

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※写真はヒンズーの女神ラクシュミー仏画です。

私のテーブルに店のマスターが来た時には…

先の三人連れの女性に散々な目に会ったせいか…このインド料理店のご主人も目もうつろで、いつもの快活さを失っている様にさえ見えたものでした。
(;´・`)

それもそのはず…
自分が信ずる信仰や神を真っ向から否定されたのです。

熱心に信心をしている人にとって、まさに人格を否定されたに等しいショックを受けたに違いありません。

ただでさえ異国の土地から来て、心細い事情もあるはずなのです。

そんな時に、自分の国の宗教や神を『心の支え』として生き、国に残して来た家族の毎日の幸せを祈る時…
そこには明日を生きる活力や癒しさえもたらされるに違いないのです。

自分の教団の教えの優位性を洗脳さながらに刷り込む為に、人の信ずる神や仏を否定する事によりリードを握り、コントロールするそのやり口は…

悪徳商法の手引書にでも載っている様な内容です。

しかしながら、特定のお経さえ唱えていれば万事良しという考え方はいったいどこから来るのでしょうか?

私はある新興宗教の会員が大勢で一心不乱に読経している場を見た時がありますが、それは異様なエネルギーに満ちたものでした。

カルト信者の方(本人は僧侶にも負けない仏教徒だと思っている場合が多い)と話していて思うのは、まるでどこぞの星から来た宇宙人に思える時がある事です。

そうした方達と話す時に、洗脳、コントロールされてるが故に、誰と話しても暗く固く個性を失った「画一化されたエネルギー」を感じたりもします。

一般の方が、こうした方達の信仰を批判し様ものなら、一斉に手痛い反撃に合う事は必至です。

そうした排他的で飢える様な気持ちで、お経や題唱を繰り越す為に、さらにそこに縋ってくる膨大な未成仏霊を引き連れてしまっている方もとても多い様です。

小綺麗な格好をしているにも関わらず、側に寄ると強い獣の匂いや、朽ちたかの様な匂いが、そうした事を教えてくれる場合もあります。

こうした方達の集まる場所というものは、独特のエネルギーの磁場を形成します。

勿論、純粋な気持ちで信仰し、神や仏に帰依したい思いからそうした教団に入る方もいるかも知れませんが…

そうした方でさえも、時が経つにつれ、自分の教団や教会の上の方から『刷り込まれた』教えを、まるでオウム返しの様に口から泡を飛ばし、なんの宗教の知識も持たない人を相手に熱弁を振るう様になっている場合も多いのです。

私はお経に『功徳』を持たせるのはひとえに人の心だと思っています。

真言宗のお寺では、皆さんご存知の『般若心経』や『理趣経』『観音経』その他にも色々なお経や御真言を唱えますが…

普通、一般の方も葬儀などで経験される長い読経にシビレを切らした経験をお持ちの方も多いかも知れません。

不思議なもので、その唱えるお経の意味を良く理解した徳の高い僧侶が読経するのを聞き入る時、まるでお経が身体の毛穴から染み入る様な気がして、とても癒される方がいるものです。
(お経はヒーリング効果もあり、眠くなる場合もあります。)

合掌

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