ようやく春らしい穏やかな暖かい日が続く様になってきた感のある今日このごろですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
昨日一日は朝の勤行を終えた後、近所の氏神様や八幡神を祀る神社にご挨拶に行ってきました。
お寺や神社と言うと、冠婚葬祭を除けば、全く関係のない無縁の物と考えている方が多いのではないでしょうか。
その昔…明治になり天皇を現人神とする国家神道が確立されるまでは、密教僧が、神社の神主や宮司さんを兼任していた時代もあった様です。
高野山やその他の多くのお寺の敷地内には、神社が設けられている事にお気付きの方も多いと思います。
過去には廃仏棄釈と言う悲しい歴史もあったりしましたが…
八百万の神の国日本はその歴史の中で、日本土着の神道の神と仏教伝来による仏を見事に融合させてきた歴史があります。
インドをその起源とする仏教を受け入れ、排斥する事なく、日本古来よりの神と共に崇敬する柔軟な感性と言うもの…
そして美しい日本の四季というものが、大陸の文化とは違う、慎み深く情けに厚い日本人の気質や心情の機微に影響を与えてきた様な気がします。
ところで…
私がお会いする方の中には、「どこのお寺や神社に行けば開運効果があるのでしょうか?」と盛んに聞いてくる方がいたりもします。
ところが…話しを聞いてみると、私が一生かかっても周りきれないほどに、ご朱印帳を片手に熱心にお寺や神社巡りをされている方でもあったりします。
お寺や神社に詣でる事は大変良い事なのですが、自分の『心の持ち方』に気を付ける必要もあるのではないでしょうか?
残念ながら…自分自身の中に欠乏感や今の現状に不足や不満、飢えがある時は、神仏にどれだけ祈りを捧げても目立って開運効果があるとは思えません。
何故かと言えば…そうした欠乏感や不安といった感情は奥深く潜在意識にまで、そうした『同様の事象を引きよせる磁石』を作ってしまっている場合が多いからです。
自分自身の思考…そこからくる自分の日常の多くの時間を占めている感情やフィーリングというものが、自分の現実を創造していると考えて良いのではないでしょうか?
こうした事は、神社の神や、寺院の仏に対する祈りやその効験にも影響を及ぼすのではないでしょうか。
神仏に対する祈りは『シンプルな感謝』が一番良い様な気がします。
豊かさを求めるなら「私を豊かさに導いて頂きありがとうございます」といった具合に…
すでに待ち望む自分の現実が訪れている事に対し、感謝するかの様な心境で手を合わせるのも、願望実現の為の良い祈り方かも知れません。
ただ…祈りの言葉を取り繕っても、その奥深いところ(何を意図して人生を生きているのか)を覗き込み嗅ぎ取るのが、神や仏なのかも知れませんが…笑
神社巡りも結構なのですが、不安や恐れで、地に足のついていない状態で訪れると…
神社の御神気に縋って集まる未成仏霊を…ダッコしてオンブして家に連れ帰る事に成り兼ねないので、自分の気分や体調を良く知った上で参拝する事も大切かも知れませんね。
合掌