昨日の午後、先日相談を受けたDVに苦しみ、中学生の子供が、一週間連絡が取れずに途方に暮れていた女性から連絡が入りました。
本人(子供)の居る場所がわかりましたとの報に
よかった! と思わず安堵の溜め息の出た私でしたが…
ただこの方にしたら喜び半分悲しみ半分に違いありません。
と言うのは、連絡を取れなくなったこの子供はこの方にとったら忌むべき相手、それは散々DVに苦しめられた離婚した前の旦那さんの元に身を寄せているとの事で…
電話の向こうで、「何故、私ではなく向こうにいってしまったの?」
「私がこれほどあの子を愛してるのに何故?どうしてなの?」といった
身を引き裂かんばかりのこの方の錯綜した強い心の叫びを感じます。
つぎの瞬間、「手放してしまいなさい!」と私はキッパリ言ってしまったのでした。
見方によっては、たかが電話相談を受けた相手にこの様な事を言うのは無責任ととられるかも知れません。
しかしながら、私はこの方のエネルギーに過去に自分が受けたDVのトラウマ、強いカルマを感じとる事が出来ました。
過去のDVの体験により、どうしようもないほどに身体も心も傷つき、そして経済的にも困窮した現在、そうした八方塞がりの状況でやるせない思いをどこにぶつけたらいいのか…
忘れたい自分のDVの過去…
そんな自分の人生、存在を肯定する存在…
それはこの方にとってはまさに『子供』に他なりません。
お子さんを持つ方は誰しも何にもまして、子供を愛し自分の希望を子供に託します。
人間の自然な本能であり、感情とも言えます。
しかしこの方の場合、自分が忘れさりたい人生の代償として、子供に『報償』を求める強い想いが、この方のオーラの中に居座っている様に私には感じられたのです。
子供は霊的にみれば独立した存在です。
この現世で、親の知らぬ学びのレッスンもあるに違いありません。
例えどんな難産の末にお腹を痛め産み、手塩にかけ育てたと思っていても
親というのは子供が次のステップに進む為の掛橋であり、サポート的存在以外の何者でもないと思うのです。
子供が成長して行く中で、広い意味でのガイドラインを提示するのも親の役割かも知れません。
子供は親の所有物ではありません!
この方には別れた男性との間に7人の子供がいるのですが、その内二人をこの男性が引き取り育てているそうです。
この女性にとっては長年に渡るDVの加害者であり記憶から消したい暴力夫であっても…
子供達にとっては『掛け替えのないたった一人の父親』である事に違いはない筈です。
環境を別にしていても、子供達は兄弟です。
親の知らぬところで陰ながら連絡を取り合っていたのかもしれません。
そうしたところから、音信不通になっていたこの方の子供が…父方の元にいる兄弟と連絡を取り合う中に母と別れた父親の元でも安心して暮らせると判断したのかも知れず
私はこの女性の方に、普段この子供さんとどの様な話しをするのか?聞いてみました。
話しを聞いていると…この子供さんの純粋でピュアな母親思いの姿ばかりが浮かんでくるのです。
学校に納めなければならないお金がある時でも…母親が苦しい状態にある事を知っているこの子供は「大丈夫だから母さん心配しないでと…
自分でお金を工面する事もあったそうで…
また、自分が付き合っている不良グループの友人達の事を聞かれると「みんな本当は素直でいい奴なんたよ…」と答えるあたり、人間の深い部分を見つめる美しい『心の目』さえ持っている事が窺える様でもあります。
こうした事から考えてみると、単に、母親の元にいるよりも父親の元にいった方が、うまい飯にありつけるという様な短絡的な発想ではなく
むしろその逆で…自分が母親の元にいれば、負担になり苦労をかけてしまう…
それならばと、自分が父親の元に行く事によって少しでも母親の苦労を少なくしようと考える、この子供の優しさを私は感じたのです。
それをこの方に伝えると「その通りだと思います」と電話の向こうで泣いているのが聞こえます。
父親の元で暮らすのか?
母親の元で暮らすのか?
子供自身に決めさせる事…そして自分自身が子供に伝えるべきは、自分の子供への『愛』が不変である事…
そして子供が最終的に父親の元で生活する決断をしても祝福し…別れた男性とは争う考えを捨てる事を約束し、話しは終わりました。
この女性の方と話していて感じたのは、一見DVによって深く傷付き、貧困に喘ぎ、家族の離散さえ経験している今のこの方の状況というものが…
この方にとって『真の自分』に気づく為の高次の存在からの『祝福』であり『導き』だという事です。
「他人の事だからそんな気楽に聖書をひもといた様な事が言えるんだろう!」
と言われる方がいるかもしれませんが、人間が霊的に変化し、成長期に入る時、人それぞれいろんな経験をします。
深刻な病気や、それまで長年連れ沿った人との別離が訪れたり…
失業、借金により住むところを追われるハメになったり…
信頼していた人間から致命的な裏切りに会う、夫や妻の裏切りに会う等…
書ききれない程多種多様なパターンで人それぞれにそれは訪れるのかも知れません。
そして自分自身、人生が順調に行っていた時には気がつかなかった様々な信念や思考のパターンと言うもの
例えば怒りのままに人に感情をぶつけ、そうした事から人間関係や会社での地位を失うといった具合に…
繰り返し繰り返し浮かび上がってくる時もあります。
自分の人生が荒涼として見えている時こそ、人間として本当の豊かさに向け歩むシグナルでありチャンスなのかも知れません。
自分の置かれている状況、例えば破産と呼ばれる様な状況でも…
そこに深刻さや不安や悲しさといった色づけをし…意味を与え、定義しているのは自分の心がしているだけだという事に気づいてほしいのです。
どの様な状況でも必ず再生の芽が隠されていると思います。
この女性も、まだこの先、いくつもの人生のうねりを経験するかもしれませんが、しっかり頭を上げ前を向いて歩いて行ってほしいと思いました。
合掌