先日、ある方との話しの中で、高齢の師僧の認知症が進み弟子の私が挨拶をしても誰かも分からない状態との事で、でも、修法壇に座りお勤めに入るとお経や真言を間違える事無く唱え矍鑠たる姿を見せると言う。
認知症が進み様々に記憶を失っても、身体に落とし込んだものは消える事が無いのかも知れません。もう一つ踏み込んで言うならば、真理に触れ体得したならば、たとえ身内の名前さえ忘れるボケ老人になろうとも、失われる事は無いと思うもので、
その境地に至れば、記憶を含めた身体の機能の衰えを観察しながらでも安心が失われる事は決して無いものと確信する愚僧であります。