風俗(依存症全般)にハマる人間はすっからピンの金欠に陥りやすいものです。何故なら不安や葛藤、衝動を覚える度に安易に風俗を利用する許可スイッチが脳に染み渡っているからです。
たとえば、給料を貰えば即座に『ソープランドの泡踊り』が体感を伴う画像となって強い誘惑をもたらすからで、これも男に必要なリフレッシュなどと手前勝手な理屈をつけては風俗の門を潜り、事を終えれば『何でこんな事に金を使ったのか?💦』と自らが一回りも二回りも小さくなった様な卑小な気持にもなり、家庭持ちであれば尚更に罪悪感も追い付いて来て精神衛生上悪い事この上ありません。
勿論、風俗は性犯罪、性的欲望からの逸脱暴走の抑止に一定の効果を及ぼしているに違いありませんが、かと言ってそんな社会的概念の様な事にあぐらをかいている様ではいつまで経っても自分を統御する術を知らず、欲望のままに自我の暴走を許してしまい、裂けた袋から砂がこぼれ落ちる様に時間をかけてでも家庭も実績も人間関係も金の全てを失う事にもなりかねません。
金銭を払いある面合理的に性のサービスを受けるのだから問題無いのでは?と、女性などでも夫である男性の性欲を理解しプロの元で欲求を解消するのは黙認という考えの方もいたりします。この様に綺麗ごと抜きで人間の欲望のはけ口として風俗は必要だし利用するのは致し方ないのでは?との見方も勿論ありますが、こうした時、付和雷同的に人の姿や考えを借りてこずに今の自分にとって必要なのか?どうなのか?本当は自分はどの様に感じているのか?自己観察の視点がとても大切だったりします。
確かに修行僧でもあるまいし(笑)一から十まで禁欲的に生きる必要などないかもしれません。されど、自らが心のバランスを崩すパターンやそのコアとなっているものはよくよく自らを省みれば分かるものだったりもします。
これを書いている当人は極道当時、風俗で働く女性も風俗にハマる人間の顛末なども垣間見てきたもので机上の論理で語っているものではありません。
昭和の時代、有名なヤクザの親分が『一歩下がれば百歩下がるも一緒』との言葉を遺していたそうですが、これは対組織に於ける掛け合い(交渉事)の姿勢を指したもので少々意味が違うのですが、人間の自我(エゴ)などと言うものも、安易さを許せばさらに安易なものと引き合い歯止めが効かなくなる性質というものがある様です。別の言葉で表現するならば『1インチ譲れば100ヤード奪われる』という感じでしょうか。。
たとえば、奥さんに内緒で風俗を定期的に利用していた男性がいたとします。
男性の中では自分の欲望を計画的にコントロール出来ているつもりでいるのかもしれません(笑)
でも、やはり配偶者や子供に対しての後ろめたさはあり、こうした影(シャドウ)はさらに不倫の様な場面に於いて自我の暴走を追認する働きを持つもので、気が付けば更に重たいものを背負わされている結果になっていたりもします。こうなると、心ここにあらずで自己の内面をコントロールする事など到底叶わず、無軌道に流されるまま、決定的な破綻を迎える人生の袋小路へ向かう事になりかねません。
私が二十代の頃所属していた組織の組長は(除籍、解散)大組織のプラチナと呼ばれる立場の方でしたが、博打ずきな上に本妻の他に愛人がいるなどして、メシの食えない若き日に子供を養い苦労した本妻である姐さん(姐御)がこれを恨みとし首吊り自殺したもので、葬儀当日などこの方の化身と思われる白蛇が玄関に現れたものです。
この頃というのは私はこの組長の付き人をしていたものでしたが、まだ四十九日も終わらぬ内に本宅(組長の家)で待機している私や部屋住みの若い衆に『オイッ、金津園行くぞ運転せんかい』と声をかけてきたもので、表には出さずともその悲しみはいくばかりかと案じている所へソープランドへ行くぞというこの方のある種無情な言葉に当時は二十代と性欲も無いと言えば嘘になりますが、さすがに故人への憚りを感じ『自分、車で待機しておりますので』と言うと『遠慮すな、若い内はやりとうてやりとうてししかたないもんや』と言うこの方の言葉に『やりたくてしかたないのはアンタの方だろ』と皮肉な想いも出てきたものです。
※金津園とは岐阜のソープランド街
その後はみるみる斜陽を描く様に組織は瓦解して行ったもので、金が入れば韓国のウォーカーヒル(カジノ)で金を使い果たし最期残った数千万の金も詐欺師の不動産ブローカーの口車に乗せられそっくり騙し取られる結果となり、その時も『親分、あんな詐欺師に金出したら二度と返ってきませんから、やめといてください』と諫言するも聞き入れてもらえず、その後は借金に次ぐ借金を重ね、若い衆の我々が孝行(上納)しようとも追い付かず、最期は娘の学費にまで手をつける断末魔であり、大組織から引導を渡される様に除籍、引退解散へと追い込まれたものです。
関係無き話しの様ではありますが、やはりどんな世界でも自らの心を律する事の出来る人間は一時の勢いだけでなく継続しての安定、成功を手にしているケースが多いものです。金儲けなどと言うものも計算に強いばかりでなく、ハイスペックな投資における能力やスキルを持つものが巨億の富を得るのかも知れませんが、内面に克己出来ない影(シャドウ)があると全く別の要因にて蓄えた富も資産もあまねく吐き出すハメになる。あるいは使えぬものとしてブロックされるというのも振り子の法則、諸行無常の因果律というものかも知れません。
冒頭の風俗にハマるケースなど、悩んでいる様であれば(笑)改めて夫婦間のコミュニケーションをはかる(そんな選択肢到底考え及ばない枯れた夫婦も多し)セクシャルカウンセラーなどの意見を聞く。同じ悩みを持つ人間のサークル(断酒の会などの様な)を探し参加する。内面の観察、落ち着きを得る為に瞑想を始めて見るなどこの他にも様々な選択肢があると思いますが、自分にあったものを選ぶ事が大切だと思います。ただそれらもテクニックや概念の様な上っ面で見るとまたずっこけ元の木阿弥になるもので、
自分自身、自我のもたらすノイズや画像にどれだけ幻惑されプログラミングされ機械的に隷属させられていたのか?まざまざと自らの不甲斐なさ、無明そのままな自分に向き合い観察し認める事が出来る様になる事が克服の上で何よりも大切と考える愚僧であります。
合掌
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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。