私のブログのタイトルなどにもある様に私は密教僧侶ヒーラーと名乗って15年が経ちます。
普通であれば、密教僧侶とヒーラーは切り離して表示する。もしくは句読点を入れるなどして別々のものとして表記するのが一般的な在り方というものかも知れませんが、私の場合、密教僧侶とヒーラーを区切る事無く一蓮托生に(笑)続けて表示するのが真実と思われ、ヒーリングサロンの開所、加持祈祷を行う自坊の開堂、アメブロ開設以来、ハンドル名としても一貫して通してきております。
ある方がまだ私がヒーラーとして活動を始めた間もない頃、『正仙サンは密教僧のチャンネルとスピリチュアルヒーラーのチャンネルの二つを持ってますね』と言ったもので、二足の草鞋の様な話ではありますが、確かにそうかも知れません。でも、私の場合そこにもう一つ加えるとすれば、武闘派組織のヒットマンから組長に至るまで、過去に極道世界に棲んだ体験というものがあります。
危険や敵味方を瞬時に嗅ぎ分ける第六感というものも発達したに違いありませんが(子供の時より)それは無明に生きた自らの影を通しての粗い世界観でもあり、今の道に進むにあたって葛藤の連続、浄化の荒波にもさらされたのであり、こうして初めて、人様の心のお手当に役立つ人間智として変換された様な気がするものです。
世間では宗教とスピリチュアルなどとよく比較比喩され、その違いとして修行と自由意思の違いなどと端的に言われたりもしますが、確かに相反するかの様な部分はあるものの、感情から心身の健康にも影響を及ぼす心身不離の鎹となるオーラやチャクラなど人体を取り巻くエネルギーセンターの働き、無理強いやコントロールをしない(仏教にも共通)自由意思を尊重する事、そして人を癒すヒーリングの周波という事に於いても、
真言密教、三密加持の加持祈祷の現場に於いてもあくまで私の場合と前置きさせて頂きますが、十八面三十六臂、自坊本尊大元帥明王も人や場所を癒すヒーリングのシンボル、周波として加持祈祷の際に観想、感応、同化する事によってより一層の効果、効験を得る事が出来る様になったというのが本当のところであり、真言密教を裏打ちするスピリチュアルの介在というものがあり、こうした意味に於いても密教僧侶ヒーラーと続けての呼称をさせて頂き、人の変容の可能性にアプローチする意味でも元極道の文字もまだ当面、ハンドルネームの頭から外すつもりはありません。