先日、ある方より『ブログを書き始めたいのだけど自分自身特別な何かあるとは思えず、何から書いて良いか分かりません。ましてや正仙サンの様に波乱万丈な生き方がこれまであれば題材にも事欠かないのでしょうけど、わりと平平凡凡と生きてきた方なので、やはりブログなど書くのはやめた方が良いでしょうか?』と相談を受けたものです。
これに対して私は『別に特別なものを書こうと思わずにつらつらと(笑)思うままに書き出したら良いのではないですか?特別なものを書こうと思うと文章のアイディアを堰き止めてしまうものが出てきて書けなくなりますよ』とお答えしたものです。
人間、誰しも物事を始めるにあたって特別な何かをとモチベーションを上げる事はあるし、出会いや人間関係を特別なものとカテゴライズしたい欲求に駆られるものであり、特別な力や能力や美しささえあるものと思いたい生き物なのかも知れません。でも、人生というのはある種、ことごとくこの『特別性の幻想』に裏切られる旅とも言えるのではないかと思います。
何かのイベントや人との出会いを特別なものと祝福し楽しむのは良いかも知れませんが、そうしたものはこの苦の娑婆を生きる我々が前を向いて生きる為の一過性の潤滑油の様なものに過ぎぬと理解している事が大切なのではないでしょうか?特別でありたいと思う時、その実、その状況や相手を固定したい、自分に都合の良い様に縛りたいと思考の中で変換するのも自我(エゴ)の得意技というもので、やがて思い通りにならぬ状況に相手を憎んだり嫉妬したりと執着の種子にさえなりかねないものがあります。
我々人間が経験しがちな恋愛や結婚、友人、何らかの師弟関係などそこに特別なものを持ち込んで潰え色褪せ、破綻するのも仏教の無常という因果法則から見れば何ら不思議な事ではありません。
特別という限りは常に特別では無い状況もコインの裏表の様に用意されている事を私達は知らなければなりません。
熱烈な恋愛で結ばれたカップルも時間と共に情熱も色褪せ、かたやが特別な出会いだった、ツインソウルだから別れるべきじゃない(笑)と言ったところで、一度背を向けた相手の心には響きません。
女性は四十代も半ばにさしかかると更年期からくる体調の変化、婦人科の病気を発症したり、年老いた親の介護に向き合わされたりとこれまでセッションを通して何人もの方よりお聞きしてきた事でもあります。
でも、美醜の意識の強い女性にとって、プロポーションや美しさを保ちたいと願う事に於いて共通するものがある様で、こんな時期に美顔や美しさをアプローチする同年代の女性の影響を受ける事もある様です。
だいぶ前のセッションでしたが、こんな時期を経験された女性が『初めは同い年なのに顔にシワもなくてスタイルも良くて凄いとか思って勧められるままに化粧品とか買って、セミナーにも毎回出ていたんですけど、アタシが特別みたいな雰囲気強く出してきて、ちょっと引いちゃって💦よくよく見たらシワもあるし身体もトドみたいなのにSNSで補正かけて頑張ってるだけじゃん、田中みな実でもあるまいしって目が覚めたんです』と話してくれたものです。
たとえとして相応しくないかも知れませんが、人というのは誰しもこうした皮肉な見方を持っているものです。こちらの期待通りの反応など『誰しもいつまでも』してくれぬものと理解している事が大切で、それは悲観的になるという事では無く、心は動きまわりとどまる事の無い性質を持つ無常という因果法則に照らした仏教心理学でもあります。
こうした事から言えば、こちらのアプローチも自由ならば相手の反応も自由と、来るもの拒まず去るもの追わず、相手への期待を手放すといえば綺麗ごとに聞こえるかも知れませんが(笑)せいぜいお腹半分にしてとらわれずにいる事が心を平和に保ち、後ろ髪引かれずに自らの今ここ、この瞬間を楽しむ為の術とも言えそうです。
合掌
密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。