楽して儲けて何が悪いの?その言葉、その言霊に見るもの

『楽して儲けて何が悪いの?』的なキャッチフレーズをSNSでかがげる方も多い時代の様です。

その後には『だってしょうがないよね。苦労してお金は儲けるものと思ってるんだからその通りになるよね。お金に対するブロックある人は気の毒だよね』と続いたりと、私はこんなやり方で負のループからは抜け出しました!爽やかにお金儲けましょう!的な持論や体験談を引き寄せから成功哲学、スピリチュアルまでを絡めてSNSなどで展開する人も多い様です。

でも、冒頭の『楽して儲けて何が悪いの?』的な文字を目にしたりすると、天邪鬼な私は、そのセリフはきっと、老人をだまして金を振り込ませ、得意顔で戦果を賞賛するかの様に札ビラを勘定するオレオレ詐欺の連中の間でも交わされている言葉ではなかろうか?などと思ってしまう。

現にこうしたポジショントークの様な言葉を連呼するセミナーに参加した人などから『確かに○○さん、楽して儲けてると思います。だって、私達を利用しまくってますから』などと聞いた事もあり、何とも皮肉なものを感じたものです。

確かに長い間貧困を体験したり、倒産や何をやっても上手く行かない経験をしたり、幼少期などに親から刷り込まれた金銭や豊かさに対する考え方が大きく影響し、

『苦労しなければ金儲けは出来ない』

『貧乏人は貧乏で終わる』

『投資などギャンブルと一緒で手を出すな』

『泡銭を儲け様とする奴にろくな奴はいない』

『お金は汗水流して働いて初めて得る事の出来る対価である』

『ウチは貧乏人の家系で到底金など持てるはずも無し』

等々、良い悪いは別としても、その人なりの豊かさやお金に対する想い、概念、信念と化したものがお金に対するブロックを生じさせている事はあるかも知れません。自分の豊かさやお金の流れに対するブロックや思い込み、滞るパターンなどをポジティブなものに変換出来るならそれはそれで良い事に違いありませんが、私の様な仕事をしていると、お金にまつわる苦労や体験、考え方も仏教で言うならその人の業(カルマ、性格に至るまで)に組み込まれているのがよく分かるもので、小金持ちのセンセなどが、口酸っぱく『いつまで貴方はそこにいるの?』などと言ったところで、頑として響かない人は多いものであり、そこには積み重ねた否定的な体験、年齢から来る心の垢が影響している場合もあります。

でも、そんな人は同時に人間関係の悩みや苦しみを持っているもので、そうした内面の縺れを解きほぐすと、豊かさやお金に対する考え方も穏やかにポジティブなものに変わって行ったりもします。何故なら、お金は仕事や意図される事の属性として発生するものであり、ブロックするもの、否定的なものが根付いているとしたらそこには誰かしら必ずと言って良い程『人の影』があるもので、物心共に攻撃を受けた経験、DVなどの暴力、幼少からの病気、長患いの経験、無視されるなどの自尊心の侵害、これまで正当な評価を受ける経験が無かったなど、端的に見ればお金の流れと関係無い事の様ではあっても、さざなみの様に影響しあっているというのが本当のところで、ここにフォーカスし向き合う作業が無いと、何らかのビジネススキルで少々お金を稼いだところで、常に満たされぬ空虚や寂しさからは解放されず、金の出来高や売り上げに一喜一憂するだけの守銭奴の如き人間となってしまいます。

だいたいにして、自我(エゴ)はよほど心を鍛えないと(笑)狡猾で怠惰、快楽、安易な道へと幻惑するもので、冒頭の『楽して儲けて何が悪いの』などという言葉も自分の中で拡大解釈し都合良く変換するのも人間であり

『亭主が留守で楽して浮気して何が悪いの?だって、センセが言う人生楽しんでくださいってこう言う事だよね?』

『楽して買い物して何が悪いの?セミナーで一緒だった○○さんも買い物だって自分への投資だって言ってたよね。少し無理あるけど、ええい💦エルメスのバーキン買っちゃえ』と(笑)

ありえないと思うかも知れませんが、人間、人生を傾ける発端と言うのはこうした捏造、改竄、欲望の追認の思考パターンに多い事は極道当時から僧侶、ヒーラーとして活動する現在に至るまで、一貫して見てきた事の様に思えるものです。苦の娑婆とよく言わせて頂く私ですが、だからと言って苦労や清貧の思想を押し売りするものでもなく(笑)この世界では様々にもご褒美がもらえる一面があり、豊かさを享受し、またその為の学びも各自の自由意志に於いて行ったら良いと思います。

でも、そればかりでは無い事を私達は同時に知らなければなりません。楽に儲けていても、楽には行かぬ人間関係が発生したりもします。楽に儲けていても楽には行かぬ健康や病気があったりもします。楽に儲けていても愛する人が突如、あるいは月日をかけて亡くなったりもします。

分かりやすいのが、若い内は友達や知り合いの結婚や出産、起業など、ハッピーな情報がもたらされる事が多いものですが、年齢が繰り上がるにつれて友人や家族、または自らがまさかの大病に罹る、身体や関節の痛みの恒常化、訃報の知らせ、廃業や閉店などの情報などに様変わりして行くのも、諸行無常、生滅変化著しいこの現世の必至の理(ことわり)と云うものです。

こうした因果法則から言えばネガティブ、ポジティブ人間の思惑関係無く、豊かで楽しい一辺倒は無いもので、かと言って苦労や災難ばかりが続くものでもなく、楽しい事や良き人との出会いと云うご褒美もあったりと、共に受け入れ自分を傍目八目で見る観察の視点と視座。

楽しい時はよく笑い、悲しい時はこれまたよく泣く、それでいていつまでもそこに囚われず、酔わずに通り過ぎる。そんな心根で豊かさやビジネススキルを学んだら良いのかも知れませんが、人間、心の穏やさが占める時間が多くなると、価値観の変動も起こる様で、不思議と自分を表現する道や仕事に転身したりで(離婚も)初めは食うや食わずでも活かされている自分を体感し、またそこに食べて行くに不自由しない収入も追い付いてきたりで、好きな事や、やり甲斐のある仕事や自分を表現する時間を惜しまぬ様になる様です。

勿論、霞を食べては生きて行けぬ厳しさは認識しつつも、金銭や収入の嵩に執着しないそんなラウンドに入って行く人の姿も見てきた愚僧であります。

 

 

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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