※写真や動画など今月25日に開催した塩川滝における滝行の様子です。
滝に上がる前にお滝場の鎮守、清龍権現、緋龍権現をお祀りする塩川神社や参道などを参加される皆さんと共に清掃した後は神社前での準備体操、表白、お経やご真言を唱え、安全設備等無い自然の中で冷水に打たれる滝行でもあり、健康を損なう事無く終始無事に楽しんで頂ける様祈祷、祈願するものです(1day保険などにも加入して頂きます)
熊野修験の流れを汲む八菅山修験の行場として長い歴史を持つ塩川滝ですが、皆さんに入滝して頂く前に滝を御神体と観想し、改めて皆様の無事を懇請すると共にまた修行道場でもあるお滝場を加持、結界してよりこれも作法に則り参加者に水をかけ、順次入滝して頂くものです。
私と並んで滝に打たれるはカレーでお馴染みニューガネーシャのマスターです。
最近では熟練してきたせいか滝行者の風格さえ出てきた様な気がいたします(笑)
たまに、自分で見つけてきた滝のスポットなどに行者や僧侶無しで滝行とかしても大丈夫ですかね?的な質問を受ける時があります。こういう事を言ってくる人の心情として、『宗教とは関わりたくない、一線を置いて楽しめるはずだ』『行者や僧侶の監督下で行うのは窮屈なものを感じるし、友達でワイワイ楽しい雰囲気で自然を楽しむ感覚で滝行したっていいじゃん』というものが見え隠れしている場合があります。
勿論、人が何をしようと自由ではありますが(笑)宗教や修験などからは自由にありたいと言いながら、こうした仲間内でなされる『滝行もどき』では滝の氏神、鎮守なども素通りの上、合掌は勿論の事、どこかでかじった印を組んでみたり、意味も分からぬ真言やマントラを唱えて見たりと導師や行者の世話にならずとも出来ると思う反発心、それでいながらお経や真言を唱えたり印を組んだりするという矛盾した心根で臨む為、その心根に絡むかの様に事故や体調不良などの障碍に見舞われやすくなるものです。
夏の暑い日にチョロチョロバッパ(笑)の雫が垂れるかの様な滝の足元で水に浸かり仲間内で涼を取る程度なら問題は無いと思いますが、お滝場というのは滝壺から吹く風も強く、水面下が岩場で足元が良いわけでは無いところが多いもので、浮ついた気持でいると足元掬われたりするものです。
塩川滝の直瀑に入滝した人ほぼ全てが、お滝場の磁場や独特のエネルギーを感じているもので、ご真言と共に身体を打つ水流の激しさが増したと体感する人も多かったりします。こうした事から神社から滝に向けて進列して行く時には護身法などもお授けし、本尊が安置されたお寺に入堂するかの様な気持に切り替えて頂くもので、滝に打たれる上てのドレスコードと言えるものかも知れません。
私はよく滝へ進列される皆さんを前に『ここは古い歴史を持つ修験の行場ですから、木の上に天狗が腰掛けて見ているかも知れないし👺この滝で修行した、いにしえの時代の修験者が、おーっ、こいつら滝行に来たか、どんなあんばいか見てやろうと、皆さんを見ているかも知れません。しっかりとお願いします』と冗談まじりに脅すのですが(笑)世俗のタイムラインから抜け出し、そんな非日常な空間にトリップする体験というものも禊効果と共に滝行にハマる人が多い一因としてあるのかも知れません。
(終了後は神社に御礼を兼ねて再び参拝、護身法を解きリアルな今ここに戻って来て頂き解散します)
10月も秋季滝行として開催する予定です。
塩川滝でご一緒した皆さん、有り難うございました!
以下、今回初めて滝行に参加されたKさんよりのメッセージを転載いたします。
(了承を得て掲載)
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無事帰宅しました。
今日は最善最高の体験をさせていただきました。
声を出して音を鳴らしてみんなでやる滝行はお互いに応援し合っている高揚感があって、
意識が高いほど瞑想が起こるのかなと思いました。
わたしは打たれているだけで必死でしたが、自然の力や場の力はすごいですね。
今重苦しさはまだありながら清々しい感覚もあります。
冷え性なので筋肉つけて、また気持ちのタイミングが合ったときに参加させていただこうと思います。
貴重な体験とご指導をありがとうございました。
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合掌
密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。