日本人の夢を一身に背負い衰退日本の憂さを払拭するかの様な大活躍の大谷選手。されど、現在、マスメディアで報じられている通訳の賭博疑惑など、大谷選手が賭博に関わる事など無いに違いありませんが、好事魔多しのたとえそのままに、本人にブレ無く隙が無ければ周りをコケさせてでも足を引っ張りにくるエゴの攻撃を見る様でもあり、世界が絶賛する大谷選手とて、苦の娑婆、無常の因果法則からは逃れられない地球村に生きる生徒に他なりません。
あの若さにして既に人がなし得ない偉業を達成している分、正負の法則そのままに、人間大谷翔平にふりかかる業というものはしっかり用意されているものを私などは感じるものです。
話しは変わって…
『隣の芝生は青い』などと他者を羨む人間の傾向を指したことわざもありますが、金持ちには金持ちなりの、貧乏人には貧乏人なりの苦しみや地獄がある事など極道当時より見てきたもので、そういう意味において資産状況や立場を離れ、生滅変化のサイクル無常の因果法則にさらされている点においては、どんな人間も五分との想いは、現在僧侶としての解釈が多少付加されているだけで、当時よりさして変わらぬものがあります。
よく、陰謀論などに出てくる世界を動かす大富豪やコンツェルンがユーチューブなどでも取り沙汰され、一年365日、日々巨億の金を動かし、何一つ不自由無く、世界中に点在する別荘を駆け巡り、ゴージャスに飽食の限りを尽くし、我々一般大衆を搾取の対象とロックオンの上、貧民や愚民と見なす優生思想に支配された世界の権力機構の最上層部にいる人間について様々な取り上げられ方がなされているものです。
『こんな事実を知らずに貴方は眠ったままで良いのか!?』的なアプローチをされる方も多い様ですが(笑)
残念ながら私などはその支配構造の末端に甘んじているのが精一杯で、劇的な世界の権力構造の変化など目にする事なく三途の川を渡りそうです(笑)でも、外界はどうであろうと、心の支配は受けないと云うのが仏教者としての視点、視座でもあります。
どんな巨億の財閥の当主であろうと、大富豪の御曹司であろうと、老いて行き病に罹りやすい肉体を持ち、食事をし、排泄をする生き物である事において我々と何ら変わりはありません。また途方も無いビジネスやシステムの上に乗じて巨万の富を築いているかも知れませんが、商売仇やライバルの富豪や権力層もいれば、自分の追い落としを画策する身内や親族など、油断ならぬ存在がいたり、金ばかりを与えたがゆえに心を失い問題ばかりを起こす息子や娘の火消しに追われたり、表に出す事の出来ぬ薬物中毒や精神に疾患を持つ家族や自殺した親や兄弟、姉妹の存在など、
巨億の富を築こうとも、かかる人間関係がある以上、金をせしめている分だけ、まるでバランスを取るかの様に、よりハードに人生上の軛としてふりかかるものがある事など、スキャンダルとして表に出てこないだけではないのでしょうか?
確かに巨億の金があれば、何一つ不自由なく毎日美味しいものも食べられるかも知れません。でも、家族や身内に心配事が絶えず、裏切りや画策、自分が追い落とされ、寝首を掻かれる怖れ、そこに維持しなければならぬ健康への執着などが強いとしたら大金を持っていたからと、その人の内面は果たして幸せなのでしょうか?
『怖れが強く心配事ばかりがあれば、どんなに金を貯め込んでも落ち着かず、タカる人間も手を変え品を変え現れたりで、かえって負債を背負わされた様な気になります💦』とは、私が極道当時に関わったある金持ちの言葉ですが、世界の支配層を為す金持ちとは桁のレベルもスケールも比較にならないに違いありませんが、一気通貫するかの様な真理や因果法則においては同じ鋳型に支配されているに違いないのです。
だからこそ、人を羨む必要などないのです。
自分がフォーカスし、取り組むべき事は自分自身の日常のエネルギースペース(生活空間から関わる人間とのやり取りなど)に現れてくるもので、心澄ませていれば取り組むべき優先順位と共に内面に示されるものがあったりします。
でも、多くの人はより良いものに憧れ、それを追求するのが正しいとプログラミングされてしまっているので、外へ外へと遠くに真実がある様にそれを追い求め、かえって心の平和を失い、疲弊してしまう方なども多い様にお見受けするものです。
私はよく『完璧主義の画像を手放す』と言わせて頂くものですが、この世界で完璧に為し得るものは何一つ無いと理解する事が大切です。自分の弱さに鞭打つかの様な葛藤を感じている人は多いものですが、人間というのは自分の弱さやいたらなさを認め、自覚する事が大切で、そこに謙虚さや相手に対する思いやりも生まれるものです。強みに過ぎればいつの間にやら横柄になり、傲慢になり、礼節を欠き、相手の立場になって考える事の出来ぬ裸の大将になりかねない危うさが生じるもので、綺麗ごと抜きで強くなければ生きられないとの風潮もありますが、そんなに気負わずとも、必死こいて、もがかなければならぬ時がくれば必然、もがかされるのも人間であり、地に足を着けニュートラルに自然体でいるのがもっとも変幻自在に対応出来る強い人間のスタンスかも知れません。
でも、それさえも心の訓練が必要な事でもあります。
とかく感情を乱す『赦しのレッスン』というのは人間のイベントの前後に雌伏するかの様に用意されていたりもします。旅行やイベント、新築、転居、転勤、結婚など、家を出たところで気付く鍵やパスポートの紛失、結婚式直前、直後の相方の浮気の発覚(笑)病気や事故や盗難等々、枚挙にいとまがないケースがあるもので、これも苦の娑婆の因果法則、エゴの攻撃というもので、こんな時は感情に噛みつかれるままにバーストし、より問題やトラブルを難しくしがちなものですが、
どうかそんな時は自分を(他者を)呪わずに自分のタイムラインに設定されたサプライズ、赦しのレッスンが起きたものと、冷静に今出来る最善な対処へと心を向ける事が大切で、こうした自覚の繰り返しが見る世界に伝播し、心の平和に付加される働きがある様です。
と、偉そうな事を申しましたが、鏡に向かって『ワレ、ヘタ売っとるやないけ、このおっちょこちょいめ』と、多少の自嘲を込めてぼやく事の多い愚僧であります(笑)
合掌