一般の方が聞いても都市伝説か眉唾としか思えないであろう効果、効験の歴史や記録などもあり、そうした事から戦後、GHQが大元帥法の次第書(経典)を奪い、取り上げ様とした逸話がある事なども私が受法の際など時の師僧より聞かされたものです。
こうした事だけ見れば、平将門公と鎮圧打倒に向け呪術を修した大元帥行者なども水と油、怨敵の如く敵味方に分かれるかの様で、永い時を経ての現代に至るも、うっかり神社の境内に足を踏み入れるだけで良からぬ因縁や障碍を引き寄せると頑なに信じている人がいまだにいるのも頷けないわけではありません(笑)
でも、信じるところに障碍や不可解な事象も用意されるもので、手でする事を足でする様な出鱈目はいけませんが、如何様な歴史がそこにあろうとも、おっかなびっくりな先入観やフィルターはとりあえず脇において(笑)ご縁を感じる神社やお寺で心を澄ませ手を合わせる。これ一つで良い様な気がするものです。
ただ、相性の悪い神社と言うものもあり、参拝後の出来事や夢見、違和感など、強く直感に訴えてくるものがある時などは次回の参拝を遠慮した方が良い場合などもあります。
最後は田端駅近く『赤紙仁王尊』でよく知られる白龍山東覚寺でお詣りさせて頂きました。真言宗豊山派のお寺ですが、護摩堂の前に左右に立つ仁王様のお姿が分からぬほどに赤い紙が貼られているもので、病気の方などが疾患のある箇所を左右の仁王像の同じ位置に貼り付けるもので、代替抜苦を引き受ける身代わり仁王尊として長い間、地元の方に親しまれてきたお寺の様です。
1491年真言宗御室派(本山仁和寺)の寺院として万世橋に建立したのがその歴史の始まりの様ですが、御室のお寺として長い歴史がある寺院とは今までつゆ知らず、慶長年間には今の場所に移ったとの事で、また本尊不動明王は弘法大師空海謹刻の作と言われ、江戸時代には徳川歴代将軍の祈願所として栄えるなど由緒あるお寺の様です。
赤い紙がまんべんなく貼られた仁王様の前に立っていると、我が事ばかりでなく家族や愛する人の無事や快癒を願う人の長い間の想いが循環しているものが感じられ、心経一巻、諸尊ご真言、ご宝号をお唱えしてお寺を辞した愚僧であります。
合掌