謹賀新年!令和4年元旦の御来光に思う事

明けましておめでとうございます!
令和4年の御来光は雲一つ無い晴天の中、写真右端に見えるスカイツリーにも反射し、高い遮蔽物の少ない下町足立の空からは綺麗に拝めるものがありました。
新時代の息吹きや足音、それは高まる軍靴の音にも聞こえ、混沌と先行き不透明感、それでいて希望を託さずにはいられない人の想い。それは特別なものではなく諸行無常の人の世においていつの時代も繰り返されて来た事でもあります。
仮想通貨や暗号通貨など硬貨や紙幣の無い経済システムへ世界がシフトしているのは間違いの無いところで、投資や金銭に働いてもらう事こそ新しい時代を生き残る道とばかりに情報収集に余念の無い人は多いもので、またこんなカオスな時代だと病気や難病に対する劇的で瞬時な回復や治癒に人は憧れ、新時代の治療法と目されるものに飛び付いたりと人間の根底にある死への恐怖、生のダイナミズムがとかく具現化しやすいものもある様で、転じてこうしたものは一括りに利用され、差別や排他などの狂気を生みやすい事に於いて注意も必要な様です。
人や物や出来事の一切が無常の時の流れに置かれている事に於いて滅びぬものは何も無しと言う視点視座からこの世界を『苦の娑婆、苦しみの世界』と諭したお釈迦様の教えと言うもの。年頭のご挨拶から苦の文言の入る文章は不適切かも知れませんが(笑)その因果律知らずして人生を楽しむ事も出来ぬのもまた真なりと言うのが極道から僧侶に至る現在までを生きた私が痛感してきた事でもあります。
たとえば、美醜の意識の強い女性なればこそスマホの写真を補正したり加工したりも頻繁に致し方無いものもあるとは思うのですが、面識のある女性などが投稿する写真などに『えっ、どちらさん?💦』と思えるほどの変身ぶりに、思わず天の邪鬼な私などは『ちょっとこれ詐欺と違うんかい』などとぼやく時があるもので(=_=)
ここで私が言いたいのは写真の是非ではなく(笑)たとえばこの方が人の心のお手当てをする様な仕事をされていたとするならば、こうした自分を盛って綺麗に見せ様とするものに執着し強すぎるものがあれば、それは自らを偽るものとして投影され、表に押し出され、単に顔だけの話しに済まず、見栄や虚勢にばかり心を取られ、人の内面になど向き合えぬ飢餓感を生み出しそれでいて未消化な仕事の内容に日々悶々とするそんな葛藤、その人なりの地獄を作りやすいと言う心の働きを言いたいものです。
決して自分の身体を粗末に扱って良いと言う事ではありませんが、自我(エゴ)と言うのは常に『肉体こそすべて』と貴方の意識を向けるものがあり、真に内面の覚醒や心の平和などそのシステムが脅かされるので自我は決して望んでなどいません。その為には見栄や虚勢、似非な宗教の教義やスピリチュアルまでを持ち出してでも目隠しし様とする一筋縄では行かぬ自我の振り子の中で生きている私達人間の実相があります。
これを一個人としての内面、世界のあらゆる事象に於いて見ても合致するものがある事にお気付きの方も今の時代多いのではないでしょうか?
人間、業(カルマ)の作用によって経験すべき事はさせられるもので、避け様の無い事は嫌と言うほど体験させられるのも人生です。でも、受け取り方はその人に預けられたものがあります。人や物や出来事、宇宙さえも、その一切が壮大な心の中に置かれていると見る時、どれだけ日々の些細な出来事から大事に至るまで、自らの心の在り方平穏が大切なのか?
世界の出来事にさえさざ波の様に影響を与えている私達一人ひとりの想いや心の働き。毎年心元年としてその想いを新たにする愚僧であります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
世界の生きとし生けるもの全てが幸せであります様に
合掌

読者登録してね

 

 

 

密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

タイトルとURLをコピーしました