※ヒーリング時の写真など了承を得て掲載しています。
今日は午後よりお越しのお客様へトータルセッションをさせて頂きました。
☆トータルセッション
(スピリチュアルカウンセリング30分+ヒーリング30分 全60分)
※下記内容は本日のセッションとは関係ありません。
エゴの影響にとかくさらされるこの地球村に於いては、人間と言うのはとかく罪悪感を抱きやすい生き物の様です。
人間関係でも、これまでの自分の人生に起きた事に対しての後悔や懺悔の想い、病気や貧困への怖れ、あるいは未来や将来への不安と言う漠然とした形を通しても生じるもので、こうした状況下にある時…
『こうしたネガティブな想いは自分だけなのではないのか?』
『自分だけが特別なのではないのか?』と、
一層その想いを募らせてしまう時があります。物の見方は自由だし視点を変えればネガティブもポジティブに変換出来る事もありますが、その人の置かれた状況もあり、そうした論理が全てに該当適用出来ると言うものでもありません。
人としてのキャパの無い教師と言うのはこうした点に於いても成功哲学や引き寄せ本の受け売りの様な事を押し付けかえって混乱に陥れてしまっている事に気付かなかったりします。
無理な変換や解釈には無理が生じると言うもので、成功哲学や引き寄せ本に書かれている様なワードを事あるごとに自分に課しても、かえって疲弊してしまい、以前にも増して強い拒絶感と共に明るい視点や視座を持ち得なくなってしまうのも人間の様です。
分相応など、人間の器量をはかる一つのたとえとしてコップに注がれる水も容量を超えれば溢れ出てしまうものである事も言われたりしますが、これはよく人間の度量や能力に対する尺度として用いられるもので、求められても能力以上の事は出来ないと理解する人は多いものです。
でも、これは悲しみや苦しみ、ネガティブな状況に直面した時の人間の内面世界にもあてはまる事であり、とらわれる事なく対応し消化し通り過ぎる事の出来る人もいれぱ、悩みつつ試行錯誤を繰り返しながらでも安堵の道へたどり着く人や、はたまた悲しみや絶望の淵からなかなか抜け出せなくなってしまう人、相手や周囲憎しと攻撃したり、騒ぎ立ててしまう人など、その人の内面世界から投影される対処や対応の仕方と言うものも十人十色なものがあります。
それは簡単に言えば、一つの出来事に対しても大鉈を振るう様に決断をくだし動じぬ風情の人もいれば、物音に驚きいななく子馬の様な繊細さを見せる人もいるもので、これはどちらが上で下と言うものでもなく、その人の内面世界の許容量、カラーの違いと言うものかも知れません。
(幼少期からの親子関係、学校でのいじめなど、体験を経て後天的に形成されるものもとても大きい)
かつては極道の世界に生きた私などは、子供の時からあった、時に人の心のひだが分かってしまう様な繊細な感性を疎ましく思った時が何度もあったものですが、でも今思えばその感性あればこそ救われていた場面も一度や二度では無かった様です(笑)極道などと言うと、武骨で剛毅一辺倒のイメージもありますが、力関係がモノを言うヤクザ、人の出世など口から出る祝いの言葉と裏腹に祝福出来るものではなく、妬心激しいからこそ争うし(笑)猜疑心や深読みしすぎる人間なども多かったもので(薬物の影響も)修羅道と言えばいかにもカッコ良いですが、自らの女々しさを引っ隠して、無理くりにヤクザの大義名分や掟にネジ曲げ仕立て上げてしまうのもその世界だった様な気がします。
様々な葛藤を伴うサプライズや苦難や悲しみを伴う出来事に直面しても、それを急いて相手を赦そうとか無理に自分の中で消化しようとしない事も大切です。
納得していない自分の感情や想いをまたいでそれを無し遂げ様としても無理があるもので、それが前出の『コップから水が溢れ出てしまう』状態でもあります。
『生きるとは赦しのレッスン』とブログのタイトルなどにもうたっている私ですが、まずは出来事や人を赦す事の出来ぬ自分こそを赦す事が大切なのは言うまでもありません。それが一つのリラックスした状態を作り、やがて相手や出来事に対しての違った考察や想いも生まれそれが赦しを形成して行くものです。
出来事の幻想性を見抜く霊的真理を学ぶ事でさらにそれを日常の積極的な赦しに発展させる事も出来ますが、それでもブロックする状況などもランダムに発生し、まずは昂る自分の胸に手を当てる事が順序の先として妥当な事は、かつては瞬間湯沸し器(笑)だった自分自身の体験からも明らかな事と言えるものがあります。
合掌