☆お寺で得度したいと言う貴方へ…正仙の愛説法

※写真は私の得度式で撮影したものです。今とはだいぶ人相も違うかも知れません(笑)

※得度式に於ける剃髪時の様子です。
 
セッションにお越し頂くお客様の中には、お寺で『得度したい』と話す方や出家得度に密かな憧れを持っている事をお話しくださる方などもいたりします。
たとえば高野山や比叡山などのお寺を訪れ、氣の良い効験あらたかなものを感じ、こんなお寺で、お坊さんになって働く事が出来たならどんなにか気持ちいいだろうと、密かな憧れにも似た気持ちを持ち続けていたところに得度の選択肢が自分の人生の中で浮上するかの様に感じられる時があったり…
また、目の前にある苦しみや些末な現実から逃れたい欲求があったり、波乱万丈の果てに心の平和や安寧を求めるかの様に得度に向けられるものがあったり、僧侶になって何か人様や世の中の役に立ちたいと純粋な思いが動機としてある場合もあれば、
ヒーラーや心理カウンセラー、セラピストや占い師として活動する中で以前より仏縁を感じていた事も手伝い、同じ業界の人間と差別性を持たせる為にも得度、僧籍と言う背景があっても良いのではと考える人もいたりと…仏教に於いて悟りを求めようと決心することを発心(ほっしん・発菩提心の略)と言いますが、得度に至るその動機と言うものも現代では複雑多様化し、なかには商業ベースの考えに端を発している様にしか見受けられない人の姿などもあるものです。
ビジネスであれば、人それぞれが野心の塊であろうが、変態オタクであろうが(笑)何であろうが、とりあえず仕事さえしっかり消化出来ていればさりとて問題はないものですが…お寺の世界はある面全人的な職業と言えるもので、昔ほどではないにしても閉鎖社会、隔絶された世界に違いなく、私が裏社会を抜け出て今の道に進んだ時なども、親分、子分、兄貴、舎弟と疑似家族のヒエラルキーで構成される極道の世界とやはり師僧と弟子と言う徒弟制度を敷くお寺の世界はよく似ているなと思ったものです。
それだけに独特な磁場も生じる特殊な世界と言えるのかも知れません。何らかのビジネスのケースメリットをはかる為や自分自身の社会的な箔づけの為に得度を利用しようと考えた揚げ句、どこかのお寺で得度したところで、不純な意図はやはり不純な結末をもたらすのか、得度し法衣に身を包む自身の姿をHPに載せたりしても、法衣姿に乖離するかの様にその人間に内在するものは小さな写真からでもそこに添えられた文章からでも如実に伝わるものです。
たとえ在家出家でも得度すれば開運さえあるだろうと見込んだのも束の間…かえってお試しの様に様々な困難な状況が発生し、得度を背景に利用しようとした事業やビジネス自体にもトラブルや障害が相次ぎ、その本人も事故や病気に見舞われるケースなどを見聞きするに及んでは、本人の罪悪感も作用しての事なのでしょうが、摩訶不思議なものもあり、以前、私がお寺との縁を繋ぎ得度した人間なども、こうした自分の不純な意図の毒にあてられるかの様に得度以後混乱を極め「自分自身の心がけが間違っていました」と詫びて懇願するかの様にお寺とのご縁を返上したい旨の申し出を私にしてきた事などもあったもので、会った当初よりその人間に感じていたチグハグな印象はやはり相応の結果しかもたらさなかったものをあらためて追認させられた様な気がしたものです。
得度したいと話してくださる方の中に欠落しているものとしてお見受け出来る事の中に『何をしてご飯を食べて行くのか?』と言う事があります。僧侶と言えども霞を食べては生きて行けません。得度授戒を受けたからと言って如来や菩薩の功徳が降ってくるわけでもなければ、お釈迦様の悟りがダウンロードされるわけでもありません(笑)得度するとお坊さんの葬儀に於ける導師の仕事なども自動的に巡ってくる、もしくは得度をしたお寺から派遣社員よろしく割り当てられるものととんでもない誤解をしている人も多いもので、聞いてる私が驚かされる時も多かったりします(笑)
他宗派の事は知りませんが、真言宗の場合、得度したからと言って葬儀の導師を勤める事は本来許される事ではありません。得度授戒以後、十八道、金剛界、胎蔵界、護摩法と言う四度加行(しどけぎょう)と呼ばれる修行のプロセスを経た後で、自分が所属する真言宗の各派の本山にて伝法灌頂(でんぼうかんじょう)を受け阿闍梨位を得て、はじめて正式な僧侶としての活動が認められるのですが、一概に葬儀の導師と言っても通夜葬儀に於ける行法、所作を身に付け、声明(しょうみょう)なども学ばなければならず、一朝一夕で出来るものなどでは到底ないのです。
ご縁のあるお寺で得度以前より了解を得て弟子として勤務している様な場合は別ですが、得度だけしていても未灌頂では相手にしてくれるお寺が無いのも実状だったりもします。
また密教僧侶ヒーラーと名乗り活動する私のスタイルを真言宗僧侶の正規の活動と誤解している方なども時折いたりするものですが、私の活動などはお寺から月給を貰い勤務するお坊さんや本山の直轄寺院などで住職に任命され勤める方の形態とは全く違うものがあり、私の場合、日々ヒーリングやカウンセリング、加持祈祷などの活動に特化されたものがあり、葬儀や法要の他にも四季折々、定められた年間の行事などに従い運営されているお寺とでは似て非なるものがあります。
※それでもこれまで何度か葬儀の導師なども勤めさせて頂きましたが私の場合、亡者へのヒーリングの要素が強いものです。
「お寺丸儲け」などとよく揶揄して言われますが、参拝客で賑わう一部のお寺を除いては青息吐息のお寺が多く、お寺に勤務しているお坊さん達の給料なども薄給で、一人で食べて行くのがようやっとと言う様な金額でもあるのです。もっとも…給料の額を言うならそもそも寺の坊主になるのが間違いとも言えますが…
得度から四度加行を終えて伝法灌頂を受け阿闍梨位を取得した私にとって、お寺に勤務する事や最近では地方の空き寺に住職として入るお話しなども頂く様になったりと、お寺に入る選択肢もあるのですが、これは批判ではなく、お寺に入ってしまえばやはり宗派一門組織人としての縛りもそこに生じるもので、最近ではヒーリングなどにも理解を示す住職や僧侶も多くはなりましたが、まだまだスピリチュアルへの認識と言うものは浅く、自分の思う様なヒーリングセッションやヒーラーとしての活動と言うものにも制限や影響が及ぶ事は必至で、ブログなどに書く文章に於いても如来や菩薩、明王など密教の尊格だけならまだしも、そこはこだわりの無い私の事(笑)氣やエネルギー、オーラやチャクラなどの横文字の登場も頻繁に、キリストも出てくれば大天使ミカエルも出てきたり、ハイアーセルフなども随所に出てくる内容であり、真言宗の教義、組織教団としての布教の観点からすれば異端と取られかねず、また私自身、過去には究極の宮仕えとでも言うべき極道の世界に生きた人間であり、元々個(孤)のエネルギーの強い事もあるのでしょうが、組織内での出世栄達とか、人に心酔して自らを預けてその絆に賭ける生き方と言うもの…お坊さんの師弟関係や本山とその支部を為すお寺と言う組織の概念と、親分子分などのヤクザ世界特有のヒエラルキーを混同するわけではありませんが、人に惚れて心酔し、組織に身を挺して生きる命数は極道の世界にいた時に使い果たしてしまった様な気がします。
そうした事から僧階(僧侶の階級)や本山の承認を受けて住職になる事などにも興味がなく、一介の密教僧ヒーラーとして人様の心のお手当てに特化した活動をしていければそれで良いと考えるもので、ヒーリングルームと加持祈祷を行う小さなお堂があれば充分なものがあります。
私が得度した当初の師僧にあたる方がお寺の世界より身を退かれた為、以前よりご縁のあった伊勢のお寺へ師僧替えを行い籍を置かせて頂いておりますが、お寺の住職とも師僧と弟子と言う様な厳格なものではなくフレンドリーな関係でご容赦頂いてるものです。
こうした事から言えば私のスタイルなどは宗派一門に連なる僧侶と言うよりも限りなく私度僧に近いものがあるのかも知れません。勿論、私達真言僧が「お大師さま」と敬い呼ぶ真言宗の開祖、弘法大師空海の教えを継承し、法灯を守るお寺や御僧の存在は大切であり、それは年間行事を通して人の心を癒す伝統芸能の部分に於いてもそれは同様に違いありません。
ただ、裏社会から抜け出て僧侶になった私にとって、極道の世界に生きたその過去と言うものも私の僧侶としての説法を為すものであり、ヒーリングやセッションと共に、ここに普通のお寺には行けない、また一般のお寺が引き受けられない方達の駆け込み寺的な役割と言うものを甲斐として感じるものです。
お寺の世界も色々あります。大きな本山を持つ各宗派では世間に出ている不祥事やトラブルもあれば表面には出ない水面下での権力闘争やトラブル、パワハラなどもあったりします。それがお寺の世界だけにタチの悪いと言う部分もあったりするもので…人間の集まるところそれが寺社仏閣であろうとも、神佛を祀る聖地であろうとも、エゴの振り子が生じる事に於いて一般の世界と何ら変わるところはないのです。過去には極道の世界に生きた私にとって、天の邪鬼な性分も手伝ってか人に期待するところがあまりなかったりするものですが(笑)
言い方を変えるなら大僧正とか管長とか睨下とか、どんな僧侶としての地位や階級があろうとも、絢爛豪華な法衣に身を包もうとも、その衣の内側、素の人間としての在り方だけに着目したいものがありそれは今後も変わりそうにありません。
それだけに自分の師僧を崇め尊敬も露に見せる僧侶の方々の姿を見ると純粋だなと思ったりもします。
そこには、若き日から極道渡世で見た諸行無常(無情)を描く人間模様がニヒリズムの様に横たわっているからなのかも知れません。
お坊さんになりたいと話してくださる女性などについ…
「お坊さんにならずとも寺ガールでいいんじゃないんですか?」などと諭してしまう愚僧であります(笑)
                        
                      合掌
                                
  
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