朝焼け…貴乃花に想う事

※写真は本日早朝の勤行前に撮影した朝焼けです(着色等はありません)
連日、貴乃花親方の引退騒動が報じられていますが、私はそれを見ていて人間の一生と言うものは、一時流行りし「ビッグバン」そのものだなと思ったりもします。萌芽などと言うと古い時代の左翼の様ではありますが(笑)三つ子の魂百まで、良くも悪くも内在する種子は開花し、また癒される時を待つかの様にさえ思えてなりません。
相撲協会にエゴがあるのは明らかですが、徒弟制度を敷く相撲の世界、隠蔽体質があるのは昔からの事…
権力闘争と言う観点から見れば貴乃花はあまりにも喧嘩のやり方を知らず稚拙かも知れませんが、今スポーツの世界だけ見ても暴力やパワハラの露見、告発が相次ぎ、スピリチュアルで言われる二極化も顕に新陳代謝が起きているのと同様、貴乃花が相撲の世界の民主化に向けて一石を投じているのは間違いの無い事でもあります。
協会との確執ではありませんでしたが、宮沢りえとの破局に始まり整体師による洗脳騒動、父親である先代貴乃花との断絶そして死、母親や兄である花田虎上(若乃花)との絶縁に等しい状況など稜線を描いてきたものもあり、頑なに閉ざしてそれをある面バネに相撲に没入し、平成の大横綱と言われる業績を残した感もありますが、その相撲を取り上げられてしまうところへ自らを追い込んで行くところがこの娑婆に生きる人間の諸行無常と言うものかも知れません。

でも、閉ざしたなにものかに向き合わされるのも人間の生と言うものです。素直になれず認める事が出来ず抗うものを抱えてそれをバネにできるのも若い内の事だけで、年齢と共にそれは身体や精神を病ませる事に於いて人間とはかくも正直な生き物でもあります。

若貴時代と言われ相撲が大人気だった頃、貴乃花が優勝のかかった場所など、兄である若乃花が弟貴乃花の影に隠れて優勝に絡んでくる相手からきっちりと白星をあげるなど援護射撃をし貴乃花を優勝の花道に押しているものを感じられた時があり「やっぱり兄弟なんだな…」と貴乃花よりも若乃花に男を感じた時があったものです。
今後貴乃花がそれがプロにしろアマにしろ相撲に関わって行くのかは知りませんが、謙虚に素直に失った家族の絆を取り戻し、心の平和、真の至福を手にして行って欲しいと願う愚僧であります。
下記の詩は「草原の輝き」と言うウォーレン・ベィテイとナタリー・ウッドが主演した古い映画に引用されたものですが私の好きな詩でもあります。
草原の輝き 花の栄光 
再びそれは還らずとも 嘆くなかれ 
その奥に秘められたる力を見い出すべし
すべてを忘れることなく、また赤裸々でもなく、
我らは栄光の雲から出ずる。
神は我らが家なり。
草原の輝きはもはや戻らず 花は命を失っても
後に残されたものに力を見いだそう。
本能的な思いやりのなかに、
苦しみの末の和らぎのなかに、
永遠なる信仰のなかに、
生きるよすがとなる人の心。
その優しさとその喜びに感謝しよう。
人目にたたぬ一輪の花も、涙にあまる深い想いを我にもたらす
 合掌
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