昨日は龍眼を持つ霊能者でありスピリチュアルカウンセラーとして有名な神井真名さんが吉祥を訪れてくださいました。
神井真名さんのウェブサイト
不思議なご縁からフェイスブックで繋がってよりまだ一年が過ぎたばかりですが、お会いするご縁のある方と言うのはSNSを通しても分かるものがあります。
幼少の頃から霊能力に長けており、神秘体験の数々など、周りの子供とは明らかに違う、その見えざるものを見る能力と共に成長し、封印したいと思う葛藤が生じた事も幾度かあった事など話してくださる神井さんでしたが…やはり天から授かったお役目、その人の「本線」とでも言うべきものは、沈めても浮いてきてしまうコルク栓と同じ様に、抗い遠ざけ様としても人生の中で往々にして顔を出してくるもので、それを受け入れ、人の為に昇華させて行くところに大きく気付きと学びが用意されているのも、この私達の生きる娑婆(シャバ・人間世界)の実相と言うものかも知れません。
※お馴染みニューガネーシャにて
神井さんのブログやフェイスブックの文章を拝見していると、論理一貫したものがあり、女性には珍しいブレぬ内容、それはある面、とかくスピ用語で問題をオブラートするばかりで、物事の本質を見えなくしてしまう傾向さえある「お花畑的スピリチュアル」の欺瞞を斬り捨てるかの様な痛快さもあり、こうしたところに女性ばかりでなく男性のファンが多いのも頷けるものがあります。
昨日は、スピリチュアルから様々な事でも意見を交わしましたが、「師匠と弟子」の関係性に話が及んだ時なども「弟子は師匠を越えられないものと成長を止め、制限する傾向がありますね」との答えで、こうした事にも、その人の芯にあるスピリチュアルな視点が現れるものです。
私なども同意見で「弟子は師匠を越えられぬもの」とは日本人ならではのストイックな美学でもありますが、「越えてはならぬ、越えてはいけない」と自らを「不当化」する縛りに形を変える場合も多い様で、これが霊的探求の世界などに於いては、真理を求める道から遠ざけ、自らの成長を阻害する事に成りかねないものがあり、「師匠を越える事」と「師匠をないがしろにする事」の違いを理解されていない方も多いものです。
霊能からスピリチュアルカウンセリング、ヒーリングなどの個人セッションの他にも、リンパトリートメントのスクールも全国各地で開講し、数百名のセラピストを輩出する他、企業のサポートからサロンのプロデュースなど、多彩な活動を展開する神井さんですが…昨日はお馴染みニューガネーシャでカレーでランチをご一緒した後は、ヒーリングなどもさせて頂いたものです。
※ヒーリング時の写真や動画など了承を得て掲載しています。
ヒーリングセッションは、リーディングとは違いますが、それでもその方の過去生からのエネルギーの遍歴などが分かってしまう時があります。御信託を降ろす巫女の姿、日本だけではなく、西欧などでのシャーマンや霊媒師として生きた神井さんの過去生からのエネルギーが樹木の年輪を見ている様な感覚で訪れたもので、ヒーリング終了後にそれを神井さんに話すと、自身でもよく自覚されているご様子でした。
高次の存在や故人の声を伝え、人を導くと云うテーマを、過去世から現世に至るまで持ち越し貫いてきている様にお見受けしたものでしたが、そこに加えて今世では、見えざる世界の事に限らず、人としての理非をわきまえ、自らの足でしっかり立って行ける様、現実対応のサポートもして行く事にそれが昇華されているものを感じた愚僧でした。
※九州地区のレトルトカレー、福岡名物ふくやの明太子を頂きました(*^O^*)
私はスピリチュアルな業界に生きる方の推敲など、最近では滅多にする事もありませんが、龍眼神井真名さんは、そんな中に於いて推奨出来る数少ないスピリチュアルカウンセラーの一人に違いありません。
合掌