※この度の熊本地震でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災地におられる方の一刻も早い救出、復旧、復興を自坊よりお祈り申し上げます。
合掌
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私はブログやフェイスブックの記事を書く際に、親しい方や逆に抗うものを感じる方など、何度となく特定の人のイメージが脳裏に浮かぶ場合などは、ご本人がその方にあてつけるものを意識するしないに関わらず、その人に向けたメッセージとして、あまねく伝わる場合も多く、注意も時に必要である事などを、エネルギーの因果律としてセッション時にお話しさせて頂く事があります。
最近の事…都内の某駅近くのスタバでコーヒーを飲んでいると、私の斜め向かいに座る女性達の話し声が聞こえてきました。
人数にしたら7、8名、30代~50代位の女性達でしたが、何かの講演、もしくはイベント帰りといった風情で、それぞれが「〇〇先生の話しって、やっぱり凄いよね!」「うん、私もそう思う!」など、講師だった人物の賞賛を交わしているかの様な様子で、その内二人程の女性が時間の経過と共に「じゃあ、また来月ね!」と手を振りながら店内から出て行きました。
ここまでなら、イベントやセミナー会場近くのコーヒーショップなどでもよく見られる光景で、別に問題があるわけではありません。
ところがこの後で…「〇〇さん、△△さん達が帰ったから、この際聞くんだけど、先週〇〇さんがブログに上げた記事って、もしかしてあれって私の事を書いてるわけ?」といささか敵意さえ感じさせる突っ慳貪な口調が聞こえてきたもので…
すると矛先を向けられたこのグループで一番年が若いと思われる女性が「えっ、私が書いた事何か問題ありましたか?気分悪くしました?」と答えたものですが、すると先の女性は「うん、みんな一緒だし、黙っているつもりだったけど言っちゃうね、だってそうじゃない、母親が子供のインナーチャイルドを癒すって内容で私がブログに上げた次の日に、子供のインナーチャイルドを癒すのは子供自身であって、母親が関与すべきじゃないなんて記事を書かれたら、誰でもあてこすりだと思うんじゃないの?私の言ってる事間違いかしら?それにこの際だから言わせてもらうけど、〇〇ママ友の会でmixi繋がりだった時も、mixiやめましたなんて私には言っておいて、ちゃっかり別のアカウントで△△さん達と繋がっていたのもアタシ知ってるよ、この際だからハッキリ言わせてもらうけどさ!」とまくし立てたもので…
さすがに不穏なものを感じたのか、同席していた方達も「チョットやめようよ」「やめなよ…」と声を挟むのでしたが、それに対して「チョットいいから黙っててよ、それだけじゃないんだからこの人はさ…フェイスブックだって、アタシの事、こないだ友達から削除したんだからね、別に日頃会わない人からならそれも気にならないだろうけど、こうしてリアルに会う機会も多い人から突然削除されるって、普通でいられるわけみんな!?」と同席している方達に同意さえ求める様に訴えるこの女性でしたが…
すると、目の前に座る渦中の女性も意を決した様に「じゃあ、私もこの際だからハッキリ言わせてもらいますけど、私が通っている〇〇先生の教室で、立てた生け花が造花よりお粗末だって、高いお月謝払ってバッカみたいって、あなたが〇〇さんに言った事が私の耳に入っていないとでも思ったの?あなたって、図星言われるといつも逆ギレするだけだよね?そんな人、アタシは友達だと思ってないから、だから削除もしました。ああ、これで私もスッキリした!皆さん気分悪くさせてごめんなさい、先に帰ります」とピシャリとやり返し、自分の喫茶代をテーブルに置いて、振り返る事なく店から出て行ってしまいました。
すると、今まで感情のままに責める言葉を吐き続けていた残った方の女性は、放心状態の様に口を開けていたかと思うと、「チョ、チョットあれって何なの…?」と言ったと思うと、さめざめと泣き始めたものです。でも、同席していた女性達も、結果として手痛い反撃に遭った様ではあっても、自分の吐いた毒に当てられて泣く態のこの女性を慰めるわけでもなく、ただ困った顔をしてお互いの顔を見合せるのでしたが…
店内は満席で混雑しており、ガヤガヤと他の席の会話などもあり、静かながらも激しい応酬があった事は他のテーブルのお客は気付いていない様子でした。
こんなやり取りを目の当たりにした私でしたが、ブログやフェイスブックなどのSNSが争いの種になっている事に、インターネット社会の現代を反映している出来事の様にさえ思えたものです。
でも、ブログやフェイスブックと言えども、書き手の想いや感情を貼り付ける媒体である事に変わりはなく、無責任で悪質な誹謗中傷を目的とする文章は別としても、このケースの様に読む側の影(シャドウ)を触発し、トラブルとなる場合もある様です。また、日頃から私は「スキルの否定はその人自身の否定につながる」と言う事をよく言わせて頂いておりますが、この私が目撃した女性達のやり取りの中で、「立てた生け花が造花よりお粗末だって…」と陰口を言われた事を恨んでいた事を女性が吐露する場面がありましたが、それが何かの習い事であろうと、資格であろうと、ヒーリングなどのスキルであろうと、人から批判されたり、否定されたりすると、自分自身の全人格を否定された様な思いになるのも人間なのです。
月謝を払ったり習得するまでには月日を重ねたりとその人なりの思い入れと言うものがある事を理解せず、例えばヒーラーの世界だったならば、「〇さんのヒーリングは私とは違うと思う」とコメントしたのを誰かが聞いていて、当の〇さんの元に御注進するとんだお節介な輩などもいるもので、そうした場合、この人の中で「〇さんのヒーリングは私と違う」が、「〇さんのヒーリングはおかしい」あるいは「ダメ」と言う具合に変換されて本人に伝わっている場合などもあり、まさに人の口には怖いものがある事など、セッション時にお客様よりお聞きする事も多いものです。
話しは変わって…
今までブログなどには書いてきませんでしたが、「フェイスブックでお誕生日のメッセージを忘れただけで友達削除されました」「〇〇さんのイベントに参加しなかっただけで、取り巻きの人達から無視され悪口を言われてました」「あるイベントでご一緒したんですけど、別に何があったわけでもないのに、次の日にはその方のブログに私の事なんか全然無視で、自分だけでイベントを成功させたみたいに書かれていて、フェイスブックでもブロックされていました」など、etc…対面セッションのリーディング時の冒頭に話してくださる方もいたものです。
その他にもフェイスブックで付ける「いいね」一つとってみても、一方の友達に「いいね」をしたなら、同じ繋がりのある友達にも「いいね」をしないと無言の敵意を感じて生き霊まで飛ばされそうで怖いと言う方…または何らかのグループに於いて、自分の先生や師匠筋のUPした記事に「いいね」をしないと、会った時に良い顔をしてもらえない上に仲間内から「そんな事あなたも大人なんだから考えてみればわかるでしょ」とばかりに圧力をかけられる事などを話してくださる方もいたものですが、こんなお話しを聞くと、元々があまのじゃくな私は「そんな縛りを受けとらんでとっとと自由にやったらええじゃん!」と(笑)口から出そうになるところを思いの中で浄化するのですが…(笑)
これでは自由にその日の出来事や気持ちを正直に書くことさえ出来なくなってしまうのではないでしょうか?この様にフェイスブック一つとってみても、悪意や自己に投影する怖れや縛りと言うものを発生させる場合がある様です。
ある時…「〇〇さんの記事に最近〇〇さんのいいねが付かないのは疎遠になった証拠ですよね」みたいな事を私に言ってくる方がいたものです。それに対して私は「そうかも知れないし、そうでないかも知れない…それよりもそんな物の見方をしていると、あなたも疲れてしまうのでは?それに繋がるのも削除も自由にお願いしますみたいな事もあなた言っていたのではなかったですか?だとしたら、人がいいねするもしないも、自分を削除するのも自由と知らなければならないのでは?」と返したものです。
私などは皆さんと楽しい時間をシェアするのも好きですが、基本タンピン(単独)が好きで、あまりベタついたお付き合いはご遠慮したい方かも知れません。
極道当時から、人間関係の起承転結を随分と見て参りましたが、思うに…人間の付き合いと言うものも、腹六分目位を心掛けるのが円満の秘訣の様な気が致します。そうした事から、敬語で話す事を習慣とすると相手を尊重しながらも一定の距離をとりやすいものです。
気心の知れた間柄だと、ついぞんざいな口調になりがちなもので、これもその時々の気持ちの在り様で、人を小馬鹿にした様な言葉に聞こえる時もあれば、上から目線の命令調の物言いに聞こえ抗うものを感じる時があるのも人間と言うものです。
私は過去に極道の世界にいましたが、ヤクザと言うとそれものの映画の様に、普段から荒々しい言葉を使っていると思っている方も多いのかも知れません。
ヤクザを礼賛するつもりはありませんが、敬語の使い方、それは、自分の若い衆や舎弟分に敬語を使う事は無くとも、目上の人間にばかりでなく、兄弟分などの同輩は勿論、自分より座布団が一枚下がる(役職が下)同じ組内の人間に対しても敬語を使い話すデリカシーを重んじる習慣などもその世界にはあったと言ったならば意外でしょうか?(刑務所も同様)
話が少々脱線しましたが、敬語を習慣とする時…たとえその人間からの自分の悪口や批判がまわりまわって聞こえてきても、馴れ合いから生じる様な、「俺はアイツの事をよく知っている」「アイツは俺をよく分かってくれている」と言う様な思い込みが、敬語を使う事で軽減されている分だけ、距離を置いて物事を考えやすく、怒りも少なくいざと言う時、割と冷静に対応出来るものです。
冒頭のスタバでの目撃談ですが、渦中の一団の中にあって、私に背を向けて話をしている女性の声音に聞き覚えがあり不思議な気がしたものでしたが、私が会計を済ませ店を出ようとしたところで、その女性と視線が合いました。するとこの女性、ハッ!とした表情を浮かべ「正仙サン…」とつぶやく様に言ったもので、それには気付かぬフリをしてスタバを出たものでしたが、山手線に乗り、三駅程過ぎたところでようやっと、この方が、何年か前におみえになられたお客様である事に気付いたのでした。
一年の内に何度かこんなサプライズに遭遇する愚僧であります(笑)
合掌