★世界はただの無意味な夢だと言うのか!?

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下記に紹介引用する文章の中に、アセンデッドマスターが著者に『やはり砂上の楼閣に変わりないんだ。』と言う場面があります。

※アセンデッドマスターとは肉体人格を持つ人間として輪廻転生を繰り返し、やがて悟りを得て私達人間を導きサポートする霊的存在と言われています。
仏陀やキリストなどに代表されます。

読み飛ばしてしまうかの様な何の事はない行間の一節なのですが、これは私には、様々な成功哲学や思考の現実化、引き寄せの法則によってもたらされる物質の所有、自己実現にさえ暗に言及しているかの様に思えたものです。

書店などの新刊コーナーには様々な著者により書かれた引き寄せや思考の現実化の良書が刻々とnew arrivalされる現在、ことさら精神世界やスピリチュアルに造詣のない方でも、気軽に書店でそうした本を手にする事の出来る時代でもあります。

ただ、そうした本を書店で立ち読みする時など、章題ごとにページを斜め読みして行く時、豊かさや自己実現のメソッドやスキルに特化した内容には素晴らしいものがあっても、二元性のこの世界では成功にはまた落胆も付きものである事や、自らの潜在意識下にある手付かずの恐れ、言い換えるなら、世界平和や愛を語りながらも鼻先にある憎い相手への誹謗中傷や復讐は別物と考える私達人間にありがちな『狂気』と言うものに対する対処法に希薄なものを感じる私でもあります。

もっとも…愛や豊かさや成功をモティベートする内容が多い成功哲学や引き寄せの法則だけに、人間にある負の精神構造に焦点を合わせた内容をそこに盛り込んでしまえば、本の内容が中和されてしまう為に、読み物にならないと言う出版として考えた場合の実利的な判断もそこには影響を及ぼしているのかも知れません。

私は別にネガティブ思考を奨励し様と言うわけではありませんが(笑)スピリチュアルやニューエイジの一部の見方として『この世界は楽園であり、楽しみ創造する為に私達人間は生まれてきた』とするものがあったりしますが、私の場合は、スピリチュアルな世界に足を踏み入れて早々にこうした考え方や概念には『?』が点灯してしまいました。

私が行う対面や電話でのリーディングセッションなどにおいて「○○さんは、フェイスブックで私が『いいね』を押しているのに無視するんです。私の体調が悪いのはあの人の悪い念が飛んできているからでしょうか?」と言う様な内容の相談事例も多かったりするもので…
そんな時「それはご自分の毒にあてられているのではないですか?」と私は答える時があったりするもので、電話口の向こうにいる方からは閉口するかの様なエネルギーが受話器を通して伝わってくる時もあるものですが…笑

でも、こうしたケースなども、自分には関わりのない他人事と笑い飛ばす事の出来ぬ日常を経験しているのも私達人間なのではないでしょうか?
『どうでもいい小さな事にこだわり』人に心を開けなかったり、論陣を張り、言い争いになってしまったり、特定の人に漠然と感情の澱を拭い切れずにただ月日が流れてしまったりと、そんな経験があなたにはないでしょうか?

こうした、時には靴底に入った小石の様に自らを苛み頭から離れぬ人間関係から派生する心の痛みを経験する時、その原因が自分にあるなどと一瞬たりとも認めたくないのも私達人間のエゴでもあります。

他の人間にそれを投影し、攻撃し、時には吊し上げ「それ見た事か、俺は(私は)やっぱり正しいんだ!」と溜飲を下げ自らの中で追認するパターンにおいて、国家間における戦争も、学校における子供のイジメもその根にあるものは同じであります。

それはやがて時間と共に見えざる罪悪感となって追いついてきて、事故や病気、トラブルなど、自分を痛めつけないではおかない反作用をもたらします。
これを国家レベルで見るならば、単に軍隊と言う一つの事にフォーカスして見ても、兵役中、退役後双方に渡って、心を病み、膨大な数の自殺者が発生している事にもそれは投影され現れているのではないでしょうか。

人も自分も赦す事の難しさは言うまでもありません。

何故なら、相手の言う事に自分を否定された恐れから、たちまち感情の渦に飲み込まれてしまうのも私達人間だからです。

人に対する見方が自らのアイディンティーを決定している事は明らかな様で、特定の人と仲たがいし争う傾向のある時は、個としての出来事にとどまらず、自らの人間関係すべてにその影響を伝播してしまい、仕事や人間関係で円満なものを構築出来ないばかりか、そうした時期は病気や体調不良も招きやすい事もまた必定なのです。

でも、不快をもたらすいかなる相手であろうと、この現世に生まれて来る時に自らが招請し『契約』した相手に他ならず、そこには必ずどこかのタイミングで発生する赦しのレッスンが秘められている事は明らかな様です。

人生の課題や取り組むべきカルマなどと言うと、何か深遠なものを感じ、遠く向こうからやってくるものの様に思われている方も多いかも知れませんが、こうした人生の砥石とでも言うべき学びは見事なまでに自分のエネルギーフィールドに身近なものとして姿を現します。

それが人によっては配偶者の浮気に端を発する事もあれば、愛する子供のある日の不登校に始まる方もいます。またある方にとっては友人の心ない一言に傷付いた事にそれをスタートさせる方もいます。その形も千差万別、病気や事故でさえも霊的世界では自ら発症し、経験するタイミングさえ定めて生まれて来ていると言われています。

『起こるべくして起こる』

『経験すべくして経験している』

と言うのが私達人間にある真理だと私は思っています。だとしたら出来るのは究極自らの内面のコントロールしかないのではないでしょうか?

それは日々の出来事や関わる人や自分に対する赦しの実践と言う事こそ、誰しにも訪れている最も大切な魂のミッションではないのでしょうか?

実はこれ程難しい事はないのです。

どれだけスピリチュアルな気づきを得ても、怒りのままに憎しみのままに発した一言が、それまでの学びを吹っ飛ばしてしまう程のダメージを与える取って返す刀となってフィードバックしてくる事を、ヒーラーの世界では『ヒーラーの7倍返
し』と自らを戒めるジョークとして言ったりしたものですが、気づきや学びが進めば進む程に、人に対しての不干渉や繊細なアプローチの大切さをエネルギーレベルで理解して行くのもヒーラーでもあるのです。

以下『神の使者』
著者、ゲイリー・R・レナードより引用です。

※この文章に度々出てくる『J』はイエスキリストの事です。

※ゲイリーは著者、アーテンとパーサは肉体を持たぬアセンデッドマスターの仮称です。

※文章に出てくる聖霊とは内なる神、高次の自己とも言われるハイアーセルフの事です。

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【ゲイリー】

それで歴史的なJはどんな人だった?

【パーサ】

彼は決して木を罵って切り倒したりはしなかったし、寺院で怒ってテーブルをひっくり返しもしなかった。

でも何度か死んだ人を甦らせたことはあるわ。それから彼の身体は十字架の上で死んだけれど、人が想像するように苦しみはしなかった。
彼の姿は言葉では語り尽くせない。
彼のそばにいるのは比べ物のない、とても不思議な体験だった。安らかさ、決して揺らがない愛の大きさ…人によっては耐えられなくなって目をそむけてしまったくらい。
彼はとても穏やかで確信に満ちていたから、どうしたらあんなふうになれるのかと思ったわね。彼とともに長い時間を過ごした人や、わたしのように個人的に話をした人は、彼の神に対するまったき信頼に感動したわ。

ところが皮肉なのは…これが人には理解できないのだけれど、彼が自分は全面的に神に依存していると思っていたことよ。
でもこの依存は世間的な依存とは違って、弱点ではありませんでした。
むしろ結果として信じられないほどの心理的な強さが生まれたの。どんなに強い人でも震え上がるようなことでも、彼はまったく平気だった。そんな事は彼にとって何の意味もなかったからよ。彼に恐れはなかった。この世の出来事に対する彼の姿勢は、あなたがたが夢を見ているときと同じ、ただし自分が夢を見ていると完璧に知っている夢ね。

これは夢だとわかっているから、夢のなかの出来事に傷つけられることはいっさいない。だってどれも真実じゃないんだもの。自分は象徴的なイメージを見ているんだ、人間たちも含めてほんとうには存在しないんだとわかっているの。
Jはわたしと二人きりのとき、世界はただの無意味な夢だってよく言っていた。でもたいていの人たちはそんな考え方を受け入れられなかった。そうではないという体験があまりに強烈だったからね。

それで彼は、世界は幻想であると知るだけでは充分ではない、と強調したのよ。グノーシスや初期キリスト教徒の一部も世界は夢に過ぎないと言ったし、ヒンズー教ではマーヤー(幻)、仏教ではアニッカ(無常)と言うわね。どれもだいたい同じことを言っている。
でもその夢の目的と見ているイメージの再解釈の仕方がわからずに、世界は幻想だと漠然と教えるだけではあんまり価値はないわ。
でもJはいつか聖霊が人々にすべてを教えるときがくる、そして誰でも神だけが現実であるとわかる、とも言ったの(わたしたちもあなたにJの新しい教えを伝えることで、それに貢献したいと思っているわけ)。Jはよく最後に「神はある(God is)と言って立ち去っていった。
それから、これもあまり指摘されていないけれど、Jにはとても優れたユーモアのセンスがあった。彼ったらほんとうにおもしろかったのよ。笑うのが大好きで、人を楽しませてくれたわ。

【ゲイリー】

それで完全に目覚めてもいた?

【アーテン】

そう、だけど、その言葉の意味をはっきりさせておかなきゃいけないな。われわれが言っているのは、彼が夢のなかでふつうより目覚めていた、というんじゃなくて、『夢から覚めていたってことなんだ。』これは小さな違いじゃないよ、ゲイリー。『多くの人は夢のなかで比較的目覚めていることが悟りだと思っているが、』そうではない。イヌを仕込んで生き生きとせいいっぱい元気に生きるように教えることはできるし、たいていの人は教えられれば認識レベルを上げることができる。
夢に対する姿勢として、そこからふつうとは違った良いものを得る賢いパターンを教えることもできる。だがわが兄弟Jは完全に夢の外にいた。妄想をより良いものにする道を教えたのでもない。そういう実践で一時的にはいい気分になれるかもしれないが、『やはり砂上の楼閣に変わりないんだ。』
Jはより良い人生を生きることに反対しなかったが、きみたちが何を指針にするかよりも、その指針の源(ソース)のほうに大きな関心があった。きみたちの心にとっては真に聖霊に従うことこそ、長い目で見てとてつもなくすばらしい恵みだとわかっていたからだよ。

『ほんとうの目標は人生を美しくすることではなくて、きみたちが人生と思っているものから目覚めることなんだ!』そのときこそ、きみたちはしっかりした岩のうえに家を建てられる。Jは世界を整えるためにメッセージを送ったのではなかった。きみたちの身体が死を迎えたように見えるとき、きみたちは世界だと信じているものをどうする?世界を整えることはできても、それをどこにも持ってはいけないんだよ。

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合掌

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