★人生交差点…雨

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

私は若い頃、大組織の分裂により、約30名にも及ぶ死亡者が出た極道社会の抗争においてヒットマンとして西に東に潜伏する日々が続いた時があります。

敵対組織の本部や事務所は勿論の事、組長や幹部の自宅や愛人宅、よく行くスナックやクラブまでを調べあげ、車の中で息を殺す様に相手が現れるのを待ち続けていたものです。

そんな雨の降る日、某地方都市に住む敵対組織の組長宅の前を流れる川辺で、雨でずぶ濡れになりながら身を潜め、何時間も相手を待ち続けた時がありました。

昭和60年代、当時は地方の極道などは、まだリンカーンやキャデラックなどの大きなアメ車をこれみよがしに乗っている時代で、極道の世界にも、どこかしら昭和を感じさせるものがあった様な気がします。

そんな中、白のリンカーンコンチネンタルが、狙う組長宅の前に止まったのです。
相手が乗る車両の情報までを調べあげていた私ともう一名は、車の中の人間が家の中に入った頃を見計らい、その家の玄関へと続く表に付設された鉄の階段を足音を忍ばせ昇り、玄関より踏み込んだのです。

手には当時SWの愛称で呼んだスミス&ウェッソン38口径を握る私は、狙う相手が目の前に現れれば、即発射出来る様に拳銃の撃鉄を起こし、侵入した家の中へ歩を進めたのでした。

狙う相手はただ一人…ヤクザの組長宅でもあり、部屋住みの若い衆などが居合わせる場合も考えられ、こちらに抵抗し向かって来た様な場合は、制圧の意味で、躊躇なく足や腕をハジく(撃つ事)事も想定の上で踏み込んだものですが…

ただこんな場面でも、家族や子供に手をかけぬのが極道社会のルールでもあり、極道渡世の因果とは言え、家族の前で実行に及びたくない思いもあり、願わくば、この家の家族や子供がいない事を祈りながら一部屋ずつ見て回ったものです。

息を殺しながら、敵の組長宅に侵入した私達でしたが、家の中の電気は煌々とついてはいるものの、人の気配もしなければ、話し声も聞こえぬ事に不審なものも感じ、返り討ちがある事も十分に頭の隅に入れながら、その家の寝室とおぼしき部屋の前で立ち止まった私達でした。

この部屋からは明らかな人の気配を感じるものがあり、ドアが部屋を挟む様に二つある事から、一方のドアから逃げぬ様に、両方のドアから部屋の中へ踏み込む事を目配せで阿吽の呼吸の様に確認したのでした。

『イチ、ニィ、サン』の呼吸で挟み撃ちすべく踏み込んだ二人、ベッドの上にいたその人間に発射すべく、銃口を向けたものです。

ところが、次の瞬間、私達は顔を見合わせクスリと笑ってしまったのでした。
何故かと言えば、ベッドに横になっていたのはどこから見ても極道とは縁遠いお年寄りであり、拳銃を自分に向ける突如の雨の訪問者に、『あ、あわわわ…』と言葉にならぬ言葉で、入れ歯をガクガク言わせ驚いている様子に、気の毒なものさえ感じた私だったのです。

後で聞いたところによると、私達が狙った組長は、自分がヒットの対象にされている事を薄々察知していた様で、この日も、裏口からさっさと別の車で逃げ出し、寿命の無い自分の親だけを寝室に残し、踏み込んできた私達が間違って誤射し、あわよくば死亡保険を受け取る算段さえしていたと言うまことしやかな話しなども聞こえてきたもので…
後になって、この時一緒だった人間と『あの時撃たんでよかったのう…。』と、顔を見合わせ苦笑いしたものでした。

それも今では遠い日の事…
二度と戻る事の出来ぬ境涯に生きた日々でもありました。

私は現在48才ですが、若い頃は刹那的にその日を生きる極道の生き方が好きでした。
人生の幕の閉じ方も、運、不運の差はあるものの、悪因悪果でもたらされる人生のハードな着地さえも、力があれば身をかわす事さえできるものと若い頃の私は思っていたのかも知れません。

私が当時、ヒットマンとして行動を共にした人達の『その後』があります。

抗争指揮、見届け役、若頭 Y

組織を破門された後、投獄、出所後病死

後方支援 T

組織解散後、覚せい剤密売により懲役13年、出所後の消息は不明

情報収集、後方支援 K

組織より破門された後、裏社会の争いに巻き込まれ、殺害される。

実行犯 O

二十代の若さで大事故により死亡。

この他にも、自殺や病死、凄惨なリンチのあげく車のトランクの中で息絶え発見された人間など、一般の方達よりも短くハードに終える人生の結末と言うものも、私は随分と見聞きしてきた様な気がします。

私はアウトレイジな世界を抜け出て、今では密教僧侶ヒーラーとして活動する日々ですが、今では不動の確信として気づいている事があります。

それは『自分が人生に何を意図して生きるのか?』と言う事から発生する対価からは、いかなる人間も逃れ様が無いと言う事であります。

振り返って見る時、思考の現実化や、波長同通の法則などに知られる宇宙の黄金律は、裏社会にこそアンチヴァージョンとして現れていた様な気がしてならない愚僧であります。

思えば遠くへきたもんだ

合掌

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