ある本を読んでいたら次の様な一文がありました。
あなたがたは兄弟の目のなかのチリには気づくが、自分の目のなかの丸太は見えない。
自分の目から丸太を取り除けば、はっきり見えるようになり、兄弟の目のチリも取ることができるだろう。
この文章を読んでいて、とても意味深長なものを感じた私でした。
自分の目の中にある丸太に気付かないどころか(実際に入っていたら痛いですね。笑)チリにさえ気付かず、自分の中にある丸太やチリを人の中に見出だし、自分の中にあるそれらに気づき認めるのが嫌なばっかりに…
『あんたの目の中にあるチリなんだから何とかしなさいよ!』
『お前の目ん玉の中にある丸太なんだからどうにかしやがれ!』と…
時には飛んだり跳ねたり怒ったりしてまで、人の中にあるものだと、俺ではなくあいつなんだと仕向けるエゴの罠と言うもの…
深い瞑想が出来たと、これで悟りにまた一歩近づいたと安堵のため息も束の間、三分後の電話でかき乱される感情にそれを発生させているのも人間の様です。
瞑想と言うものも、忘我の境地に至る恍惚感に深遠なものを求める方も多いのかも知れませんが、本当の瞑想のマスターとは、目を開けた日常の中、人間関係で発生する感情のブレや葛藤などの場面においても、自分の内側で火をつけずに通り過ぎる事の出来るものを体得している方だと私は思っています。
自分の中に丸太やチリがある事に気付かないだけならいざ知らず、人の目の中にあるチリを取り除くどころか、自分の中にある丸太を人の目に押し込む事の無き様、私達ヒーラーやセラピストこそ気をつけなければならないものを感じた愚僧です。
合掌