早朝の鳥取駅前は、柔らかな朝日の光が降り注いでいる様でした。
鳥取市でのセッションやセミナーを終えた私は翌15日に広島へ向かいました。
綺麗な海、移動のバスの中から撮影
広島へ着いた私は久しぶりに平和記念公園に足を運びました。
この日の広島は気持ちの良い晴天、春爛漫を想わせる暖かな陽気も手伝ってか、たくさんの方が訪れていた様です。
原爆ドームの前に行くと、外国人の一団が『ノーモア、ヒロシマ!』『ノーモア、フクシマ』とシュプレヒコールをあげていました。
でもそれは、どこかしらヒステリックなものにならぬ様に、周囲に気遣いながらされているものの様にさえ、私には見えたものです。
この爆心地周辺には、かつて、いくつもの町があったそうで、それがガラスを溶かし、砂が燃えるほどの原爆の熱線で、町が一瞬にして消失してしまった事など、当時の爆心地周辺の長屋風情の家並みや、そこに住んでいたご家族が笑顔で並び写るモノクロの写真など、消失した町が存在した場所に住宅地図と共に、掲示板として立っているのを見る時、私にはその当時、この場所で暮らした方達の温もりや息吹までが感じられる様で…
さながらその表示板が私には、声なき声を現す墓標の様にさえ思えたものです。
私はこの広島の平和記念公園に来る度に、現在も続く日本の核のカルマと言う事を感じずにはいられません。
平和記念公園を後にした私は、久しぶりの宮島(厳島神社)へ向かったのでした。
宮島へは、広島で小さな子供を持つお母さん達を対象に、お子さん連れでも参加出来るローフードの教室などを主催し好評を得ているオレンジハートさんが、忙しい間を縫って、案内をして下さいました。
宮島に到着早々、宮島名物『うえの』のあなごめしを頂きましたが、鰻にありがちなしつこさもなく、サッパリと美味でした。
陽光降り注ぐ中訪れた春の宮島は、これ以上ないと思えるほどの絶好の参拝日和でした。
またこの日は満月、グランドクロスと重なるパワフルな日でもあった様です。
寺社仏閣、パワースポットに感じる氣やエネルギーと言うものも、人それぞれなものがあるに違いありません…
私が宮島を訪れる度に感じるのは、訪れる人々を包み込むかの様な、柔らかな御神氣と言うものの様です。
大聖院です。真言宗のお寺ですが、ダライラマが訪れ、法話をする事などでもよく知られています。
宮島から帰ってきてより、食事を取る為に一人ぶらりと夜の広島駅界隈に出たものでしたが、一本路地を入ると、まるで新宿のゴールデン街を想わせる様な、昭和レトロな光景も広がっていたものです。
以前から広島は大きい街にも関わらず、駅前など寂しいものを感じていた私でしたが、それをタクシーの運転手に告げると『広島の駅前は昔から何をやっても流行らんのじゃけ、みんな素通りして街中へ行ってしまうんよ、お客さん…。』と答えてくれたものでした。
普通に考えれば、新幹線も止まる広島の駅前が一等地と思えたりもしますが、その地区、その街によっての特性や異なる事情と言うものもある様で、地方を訪れた時など、その地方ならではの都市伝説(笑)をお聞きする様な時もあり、興味深いものがあったりもします。
明けて次の日は、午前中より広島市内の某宅において改装工事に伴う鎮宅祈祷を行った後で向かった先は…
戦艦大和の故郷として、大和ミュージアムがある事でも知られる呉市でした。
着く早々、こんな写真も(笑)並んで写るのは広島の友人、数秘アーティスト☆YOKOターラさんです(笑)
広島で以前より交流のあるここあたんさんのお父さんが経営されるお店が、広島のご当地グルメOC-1選手権で呉市海軍カレーで優勝したとの事で、カレー和尚の異名を持つ私を(笑)ご招待して下さったのでした。
して、その海軍カレーとは…?
このド迫力!(笑)その名も海軍鉄板カレー
です。
一日限定30食のこのカレー、用いられている銀色のプレートも海自(海洋自衛隊)と同じなら、その味も、戦中の海軍より伝承されてきたものがあるそうで、甘いながらもピリリとスパイスの効いたそのカレーには、想わず唸った私でした(笑)
(((;゚д゚)))
遠くに今だに残る戦艦大和のドックが見えます。
しっかりお腹の満たされた私達は、ここあたんさんの運転する車で、大和の建造された呉港にあるドックや、海軍学校のあった江田島までを、案内して頂いたのでした。
気のおけない方達と過ごす時間が過ぎるのは早いもので、東京に帰る為、広島駅で降ろして頂いた私でしたが…
名残惜しいものを感じつつ広島を後にした愚僧であります。
合掌