※写真は文中『コース』として出てくる霊性の書として知られるア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡のコース)日本語翻訳版です。
ある本のアセンデットマスターと著者の対話から引用
※アセンデッドマスターとは、輪廻転生が必要無い程に、クリアな魂の境地に達したと言われる霊的存在の事。文中の『J』とはキリストを表しています。
【アセンデッドマスター】
身体と言えば、あなたがしょっちゅう考えている『愛に不平不満はいっさいない』ということは、身体の解毒剤だと考えることができるのよ。
このレッスンについて、『コース』はこう言っているわね。
不平不満を持つことは、真のあなたがたを忘れることである。
不平不満をもつということは、あなたが自身を身体と見ることである。
最近、赦しのレッスンについて困難を感じる場合があるようね。
【著者】
そうなんだ。どうしてある人々を赦すのは簡単なのに、別の人々については難しいんだろう。
【アセンデッドマスター】
無意識の心はすべて知っている、ってことを思い出さなくちゃ。
無意識はあなたがすべての生涯で結んだ人間関係をみんな知っている。
それにあなたが生きているかに見える生涯はダンスのようなもので、ある生涯では被害者の役割を演じ、次の生涯では虐待者の役割を演じているかもしれない、ってことも考えないといけないわ。
だからこの生涯の殺人者が次の生涯では殺人の被害者で、それも別の生涯で殺した者の手にかかったりするの。
行動についても職業についても同じよ。この生涯では聖職者で次の生涯では売春婦かもしれないし、その逆もあり得る。
事実、Jが石打ちの死刑から救ってやった売春婦は(マグダラのマリアじゃないわよ)その前の生涯ではJを救ったの。
あなたがたの役割は常に入れ替わっているんです。
ある夢の生涯ではあなたは警官で、次には犯罪者かもしれない。
【著者】
もっとひどいかもしれないね。政治家だったとかさ。
【アセンデッドマスター】
政治家には課題があるの。親切に見ておやりなさい。そうすればあなた自身にも親切だってことになるわ。
【著者】
努力してるよ。それどころか、すごく成果をあげている。
以前はテレビにある種の政治家が出てくると苛々したんだ(どういう政治家かは想像に任せるよ)。彼がこの国や世界をどれほどめちゃくちゃにしているかを思うと、ついかっとした。
ところがある日彼がテレビに現れ、ぼくもいつものように反応しかけたんだが、そこで真実を思いだして彼を赦したんだ。
あんたがたが教えてくれたように、そこがいちばん難しいんだな…むかっときたとき、真実を思い出すことがね。
それで彼を赦そうと思い、考えた。『それに彼はぼくがこうやって見ていることすら知らないんだし!』それなら苦しんでいるのは誰なんだ?
彼はたぶんいい気分でいるだろう。彼はこの世界が幻想だってことを知らない。
自分が本当に大統領だと思い込んでいるんだよ!
【アセンデッドマスター】
そのとおり。赦しは常に自分自身への贈り物であって、赦すと思っている相手への贈り物ではないのよ。
現実的にも形而上学的な意味でも、赦しから利益を得るのはあなただもの。
すべての考えはあるレベルで効果を発揮するし、他者にとっても良いことよ。
ただし、その他者がほんとうにそこに存在するわけではない。
わたしが話しているのは、あなた自身の心の一見分裂しているかに見える側面のこと。
【著者】
そうだね。そしてそれはすごくクールだと思うよ。
赦すとき、ほんとうは心のレベルで自分自身と再び一つになっているんだ。
再び全体になる。そのうえ、赦せば苦しまなくてすむ。
三十分後ではなくて一分後に赦せばあとの二十九分は苦しみから逃れられる。
【アセンデッドマスター】
そうだよ。ところできみは、ビル・クリントンがテレビに出てくるたびにきみの義父がかっとしたのを覚えているかな?
【著者】
もちろん覚えている。ときには、ほんとに真っ赤になって怒っていたよ。
チャンネルを変えたり、部屋から出て行ったりもした。
八年もそうやって苦しんで、それから彼は亡くなった。ビル・クリントンはさぞかしほっとしただろうよ。
ところでさっきの即席『輪廻転生論』のことだけど、それはつまり、赦すのが難しい人っていうのは別の生涯で知っていて、現在は意識していない恨みや何かを抱いているからだ、ってことかな。
輪廻転生のように見えるものはじつはそうではなく、とんでもなく壮大な心の幻覚(トリップ)だ、とあんたがたが言っていることもわかっているよ。
ぼくたちはほんとうはどこにも行きはしない。
『コース』が言っているとおり、通り過ぎていくことを心が見直しているんだね。
ぼくたちは自分が投影しているものを見ている。
自分自身の無意識の心が映写機なんだ。映画を見に行った時のようなものだな。
見ているのが現実(リアル)じゃないことをぼくは忘れたい。
それが現実であってほしいと思い、関心はスクリーンに奪われている。ストーリーに夢中になると実際に反応し始めるかもしれない。
だけど、じつはそこでは何も起こってはいない。スクリーンに映っているのは映像効果で、ぼくが見ているイメージは別のところから投影されている。
スクリーンで起こっていることを何とかしたくてスクリーンをいじってもどうにもならない。
だって映写機があるんだから。
映写機は闇に隠れている。それは考えないことになっているんだ。でも原因はそこだ。ぼくが見ているものはそこから送られている。
ほんとうのパワーが欲しければ、結果である映像ではなく原因のほうをいじった方がはるかにいい。
映写機のなかにあるもの、つまり映画を変えればすべてが変わる。でも人生では、あるいは人生と思えるものでは、ほとんどの人が結果に過ぎないスクリーンをいじろうとして生涯を終える。
映写機とその中身、つまり心と心が従うシステムを変えようとはしないんだな。
最初に思考がある。以前読んだんだけど、鬱病の人
々とその考え方について医師たちが調べたんだそうだ。
医師たちは患者が暗い考え方をするのは鬱病だからだ、と思っていた。
ところが調査をしてびっくりした。患者たちは暗い考え方をするから鬱病になるんだ、ってことがわかったんだよ!
【アセンデッドマスター】
それじゃ、結果を何とかしようとするのがどれほど馬鹿げているか、原因のほう、って心のことだけれど、そちらに対処することがどれほど大切か、わかるわね。
ほんとうのパワーはそこにあるの。
そこで、おさらいを続ける前に、あなたの困難な人間関係はすべて時間に先立って設定されたもので、あなたが望んだのだということを、ちゃんと理解しているかどうかを知りたいわ。
【著者】
いいよ。ぼくは忘れているが、過去生で何か悪いことをした相手と出会って、その人たちがぼくを辛い目にあわせたりもっとひどいことをする。相手が悪いとぼくは思う。
でもほんとうは、過去生にぼくのほうが辛い目にあわせたりもっとひどいことをしていて、相手はただ仕返しの時期にきているだけなんだ。
ふつうはどうして自分たちの関係がうまくいかないのか、どちらにもわからない。
だがほんとうはすべて、エゴに支配された時空世界という脚本のなかで、時間に先立って設定されている。
そこでぼくたちは代わる代わる被害者になったり加害者になったりする。
これで当たっているかな?
【アセンデッドマスター】
夢のなかにいるにしてはとても上出来よ。赦しのレッスンがすごく難しいのは、あなたの無意識の心が過去生で相手と結んだ悪い人間関係を記憶しているから。
それであなたの無意識のなかには、この人生で相手を赦すことに対してとてつもない抵抗がある。
そのうえ個人的なアイディンティを放棄することへの抵抗も常にあるしね。
あなたが赦しを実践すればエゴは終わりだということを、エゴが察知しますからね。
誰にも過去世の人間関係があり、その記憶はしまわれているんです。
だから特別の愛情ではなくて特別の憎悪で結ばれた相手を赦すのはとても難しいのよ。
【著者】
特別の愛情で結ばれた人は、家族、友人、恋人たちは、ただ、愛しているってだけで簡単に赦せる。
一方、特別の憎悪で結ばれた人たち、あんまり好きじゃない人たち、そういう連中はどうしたって赦せない。
だって赦しに値しないから。
だけど自分が愛する人たちには善だけがふさわしいと思う。だから家族の誰かが人殺しをして裁判にかけられても、どうか無罪放免になりますようにと法廷で一生懸命に応援する。
でもほんとうの愛と赦しには例外はないんだ。すべての人に向けられる。
特別じゃなくて普遍だ。
すべてを包み込むからこそ愛と赦しは現実になるんだから。
【アセンデッドマスター】
そうよ。そして現実でないものが可能に見える理由の一つは、あなたがある人たちの身体を他の人たちよりも特別視するから。
心のなかである人たちの身体を有罪だと決め、自分の無意識の罪悪感をその人たちに投影する仕掛けになっているからです。
そもそもそのためにあなたがその人たちの身体を作り上げたの。だけど人々の身体はぜんぜん特別なんかじゃなくて、あなたや親しい人たちが宿ったおびただしい数の身体の一つに過ぎないことをほんとうに理解したら、どうなるかしら?
合掌