※この椅子にクライアントが座しているものと観想し、遠隔ヒーリングを行います。
私は日頃、椅子やベッドに、お客様がリアルに居るものと観想しながら行う遠隔ヒーリングや…
修法壇に座り、沈香や白檀の香りを鼻に感じながら、定に入り(半トランスの状態)行う、加持祈祷法も、対面でのセッションと同様に好きだったりします。
※先日の山形出張セッションにて、皆さんが来る前に密教法具プルパを用いて会場を結界しています。
でも、申し込み時に電話でお話しする以外は、お客様のお姿を拝見する事もなく行う遠隔のワークであっても、時に依頼された方の問題の解消に向け、急速に背中を押し、ハードな現れ方をするかの様に思える時があったりもします。
例えば…女性から冷えた夫婦仲の悩みを解消したいが為に、遠隔での加持祈祷を依頼される様な場合もあったりしますが…
そんな時私は、相談されるご本人が、いかなる決断を今後されるにせよ、相手に原因ありきと責める様な気持ちになったり、自分にいたらぬところがあったのでは?と錯綜しがちな思いから抜け出て、中立な視点から自分を見つめ直す意味においても、リーディング(透視カウンセリング)やヒーリングなどのスピリチュアルなセッションをオススメする時があります。
でも、お加持を頼んで来られる方の中には、ご自宅で神仏を祀り、毎朝お経を唱え、お勤めをしている様な信心深い方も多かったりで…
新興宗教やカルト、霊感商法まがいの団体などと同一視されぬ様に、一切の宗教とは関係無き事を、HP冒頭などにうたうヒーリングサロンが多い昨今の風潮ですが…
逆に、神道や仏教に帰依したり、新興の教団に所属し、特定の神仏を来拝する習慣を持つお客様の中には、スピリチュアルなセッションを軽んじて受け付けないと言う方もいたりで、その対比と言うものにも興味深いものがあったりもします。
今までにも…
『正仙サンは、密教の行者さんもしているから言える事なんだけど、ヒーラーのヒーリングなんて、その時だけほんわかチョット効くかも知れないけど、あとは何もないんじゃないんですか…?』などと言う人がいたかと思えば…
(((;゚д゚)))ギョッ!
『家祓い(やばらい)や土地の鎮めなんか、お免状だけのヒーラーさんには無理!やっぱり密教のお坊さんか、陰陽師、修験の行者さんじゃなきゃ安心してお願い出来ない!』などと言う意見に出くわす事もあったものです。笑
((o(*≧д≦)o))
でも、何が効く、効かないかはそれを受けた本人のみぞ知るところ…笑
ヒーリングが肉体や感情、エネルギーの癒しに発揮されるばかりでなく、時にその人の生き方にシフトをもたらす働きさえある事は、私自身もヒーリングの現場や、お客さまの施術後に頂く感想などから体験してきた事でもあり、ヒーラーの方ならご理解頂ける事ではないかと思います。
もっとも、変化、変容を意味するヒーリングは、ヒーリー(ヒーリングを受ける方)自身の変化を許容出来る理性では計り知れぬ深い部分での決意が促す事でもあり…
ヒーラーはむしろ、一つの機縁としてその場に立ち会わせて頂いているに過ぎないと言うのが本当のところかも知れません…。
私は密教僧でもある事から、仏教寄りのヒーラーと見られる向きもあったりしますが、確かに二足の草鞋を履くかの様なスタイルなのかも知れません…。
通常のセッション以外でも、土地家屋や空間の浄化ワークなどを依頼された場合など…
簡単に言うと、イメージの中でカラーを用いて、空間や物質のクリアリングをする透視ヒーラーとしてのスキルを使う事もあれば…
お不動さまで知られる不動明王の火焔を観想し、空間を浄化する真言密教の行法を駆使する時もあったりで…
実際、そうした現場において、自分なりに構成した流れに沿って執り行いはするものの、『これがこうだから正解だ!』と言う様な教科書など無いと言うのが正直なところでもあります。
しかしながら、行者などではない、宗教色を全く持たないヒーラーでも、ルームクリアリング(空間の浄化)などを、持てる自分のスキルで見事に行う方もいたりで…
行者だから、スピリチュアルヒーラーだからと、そこに上だの下だの、優劣などない事は明らかでもあります。
ひとえに、それを施す人間の在り様を現すエネルギーの状態が、大切な事は言うまでもありません。
話しが少し逸れてしまいましたが…
前出の様に夫婦仲を復元したいと願い、お加持を申し込んで来る方の中には、薄々配偶者の『それ』に気づいていながらも、相手を失いたくない恐れでいっぱいになってしまい…
それを認めたくない、かと言って目を背ける事も出来ずに悶々とし、消耗しているかの様に見受けられたりする方もいたりします。
『それ』とは、浮気や不倫の事なのですが…
こうした時、相談される女性やそのご主人の名前なども伺った上で、壇に座り、加持祈祷を行う時、後日になってより、まるで、あぶり出されるかの様に、連れ合いの方の浮気や不倫が事象として出てくる場合があったりで…
あぶり出されると言うのも、おこがましい物の言い方ではあるかも知れませんが…
愛する人の浮気や、長年に渡る不倫が発覚すると言うのは、ショックや絶望をもたらしたり、配偶者への鬱積した日頃の不満の爆発から、果ては離婚にさえ発展する事さえ間々ある事を考える時…
好きだ惚れたと一緒になった時の何倍もの、物心両面でのエネルギーを削がれる離婚や男女の別れる姿と言うものにさえ、魂の経験や運行と言う事において完璧なタイミングと言うものが介在している様な気がしてなりません。
これなどもヒーリング同様、ご本人が配偶者の浮気や不倫を乗り超える準備が深いところで出来たからこそ、自らの人生と言うフィールドに押し出すかの様に現出させ、経験する事を選んだのかも知れず
…
私が、願主の依頼に応じて壇上で行うお加持と言うものでさえ、その人が深いところで、たとえハードな着地となる変化ではあっても、それを望んでいればこそ、一つの機縁として私からお加持を受ける事をを選んだに過ぎないとさえ言えるのかも知れません。
人と言うのは、たとえ傍目にはどう写ろうとも…
自らの変化は自らで引き起こしている事忘れたくないものです。
人間、少し疲れて光りが少し曇るかの様な時期はあるもの…
そんな時に人に助けてもらう時もあるものです。
どんなに優れたヒーラーやスピリチュアルカウンセラー、セラピストに占い師、霊能者やシャーマン、僧侶に行者であっても…
人生のバランスを崩し疲れた様な時、少しばかり背中を押す働きは出来るかも知れませんが、それ以上でも無ければ、それ以下でも無いと私は思っています。
いにしえの時代から近年に至るまで、行者の中には、人に影響を及ぼす事の出来る神仏の力が自らに宿る幻想に取り憑かれ、過信から人をコントロールするカルマを生み出し、最後には身体を痛め(心臓の疾患が多い)命を落とした人間が多い事など、あまり知られていない事でもあります。
自らの人生は自らで切り開き創造して行くもの…
その為のナビゲーションは、本当は外にではなく、内なる神として自分の内側にあります。
人間は無意識の欲求として、そうした内なる神の声に触れたいが為に、瞑想を始めたり、精神世界に歩んで行く生き物なのかも知れません。
どんな時も、自らが自分の主人でありたいものです。
合掌