こうしてカルト教団を離れたこの女性はその後自立し歩きはじめたのです。
そうした時期に私にヒーリングを受け、それまで感じていた不安や恐れからも癒され軽くなったものを感じたとの事でしたが…
そうした言葉の裏にあるもの…
私がブログに書いてる過去の生き様からも相談内容を聞いてもドン引く事がないだろうと意を決して訪ねて来たであろう事が私にはありありと感じ取れたのです。
そう…それは私からと言うよりも自分自身で新たな旅立ちに向けて自らの背中を押すかの様にさえ私には思えたものです…。
リーディング(透視カウンセリング)を終えた後は、オーラやチャクラと言う人体を取り巻くエネルギーからさらに不安や恐れの源となっているエネルギーを軽減させるスキルを用いてヒーリングして行きました。
そして教団のリーダーからのエネルギーコードの存在もこの方に伝えたのです。
このエネルギーコードはサイキックコードやエーテルコードとも呼ばれ、こうした状態を透視ヒーラーの世界では『コードを刺す』とも言ったりしますが、リーディングをしていると、色々な方にそれを見る事があったりもします。
※まるで電気のコードがエネルギー状になったものをイメージして頂くと良いかも知れません。
例えば、コウルサイ御姑さんから息子の嫁に対して肩や背中にエネルギーコードが刺されているケースなど…
こうした場合、口うるさい御姑さんに辟易としているお嫁さんの実情が窺え、エネルギーコードが刺されている部所に慢性化した凝りや痛みを生じさせている時があります。
また『やれ進学だ!』『勉強しなさい!そうしなければ世間で相手にされないクズにしかなれないのよ!』と、自分の望む鋳型に子供を強い様とする親から子供に対して、エネルギーコードを発生させているケースもあったりします。
そうした場合…子供のオーラの中に、自分の思い通りにしようとする親の想念が、エネルギーコードと言う形を取り、見るものに教えてくれているかの様でもあり、子供を自分の意のままに出来ると思いがちな親御さんの子に対する侵害のパターンとして現れている様な場合もあり…
子供は理屈ではなく、敏感にエネルギー上でそれを感じとり、言う事を聞くどころか、反発に転じるケースも多い様で…
その親も、またその親からエネルギーコードの影響を受けている様な場合もあります…。
こうした場合など、親自身の自らの両親に対しての癒されていないトラウマと言うものが、さらにその子供に負のエネルギーパターンの連鎖を引き起こしているかの様でもあり…
子供の頃に親の折檻や暴力などの被害にあった経験のある人が、大人になってよりDV(ドメスティックバイオレンス)の加害者に転じてしまったりするのも、同様のケースと言えるのではないでしょうか。
人間は傷つき失ったかに見えるものを許し、癒し、手放せるその時まで、何度となく人生に顕現させてしまう生き物なのかも知れません。
その他にも夫婦や恋人、友人の間などでも、一方が不満を募らせ始め、自分の意見に従わせ様と、その意図を強めた時や、逆に本人のマインドでは気づいてはおらずとも、そこに縋り依存するエネルギーを相手に向けてしまっている様な時も…
エネルギーコードを発生させ、その関係を歪めてしまう時があります。
また、相互にエネルギーコードを付け合う場合などもあり、お互い憎しみや嫉妬をぶつけ合う様な、がんじがらめの様な関係にある方のチャクラに、これを見受ける事が出来る事もあります。
人間は多面体の生きものでもあり、夫婦と言えど友人と言えども、異なった波動のエネルギーの場合もある上に、それまで歩んできた人生経験や習慣の違いが、お互いの中で際立つ時期があるのも私達人間…
配偶者や恋人や友人に思い描く理想像が強いのも考えもので…
自分自身の幼少時や恋愛などで否定された経験が、強いインパクトとして残っている方などが…
そうした経験を、洗い流してくれるのを求めるかの様に、自分の配偶者や恋人や友人に、過度の『理想の影』を投影している事に気づかない時があり…
結果、共に居る事から生じる慣れや、日常の習慣や行動、鼻につく配偶者の生活感が、不満やフラストレーションを尚更に募り、お互いに対する小言や口喧嘩が絶え間ない様になり、出口の無い疲れをお互いに感じ、悩むご夫婦のエネルギーに、それを見る時もあります。
しかしながら…
自称霊的教師やカルト教団の教祖から信者などに対して発生させるエネルギーコードは、より深刻なものと言わざるを得ません。
人の心を掴むアジテーションや状況設定の巧な上に、見えざるものを崇高な、さもありなんな雰囲気に演出する事に長けた役者も多く、そうした事から…
『この人の言う事は間違いない!』
『この人こそ神の光りを宿している人だ!』
などと、心の何処かで神格化し崇め奉り、盲従してしまう方が実に多かったりもするものです。
でも、こうなると心配する周囲の意見も耳に入らないばかりか、自分の崇める人間の人としての『実相』に気づく事さえなくなってしまいます。
挙げ句の果てには教祖やリーダーと目する人間を信奉するあまりに、その崇める人間が世論の攻撃に晒された時など、自分が全否定された様な猛烈な反発を感じ、攻撃に転じる方もいたりと…
エネルギーコードを繋がれている状態と言うのは『中庸』に立つ事が出来ず、悪循環に陥ってしまう場合がその殆どの様です。
こうした方をオーラリーディングした場合など、その方に影響を及ぼしている教祖やリーダーと思われる方から向けられたエネルギーコードが、その方の頭頂部にあるクラウンチャクラに刺さるかの様にお見受け出来る事もあり…
私のセッションのケースなどでは、男女間で、女性が恋愛感情もとうに枯れている状態にも関わらず、男性が執拗に追い求め、ストーカーの様になってしまっている時など…
離れているにも関わらず、何処にいても男性に監視され、居場所を知られているかの様な切迫した恐れを訴える女性のチャクラに、相手男性からと思われるエネルギーコードが発生しているのを認める時も間々あったものです。
エネルギーコードがあると言えば、自分が相手からエネルギー上の侵害を受ける被害者であるかの様な受け身な考えになりやすかったりもするものですが…それを相手に許してしまう自身にも、原因がある事をそれは教えてくれていたりもします。
人間はエネルギーを侵害され、コントロールを受ける事を好みません。
長い間特定の人間から隷属の扱いを受けた魂でさえも、いずれそれに気付き抗い離れて行く時がくるもの…
世間を騒がせる大きなカルト教団の長い年月の末に見せる崩壊や瓦解と言うプロセスも、教祖から幹部信者、末端の信者に至るまで、人間の自由意思を踏みにじり『教義』や『修業』に名を借りて洗脳し…
人を馬鹿扱いにする『縛りのカルマ』を十重二十重に発生させている事を考える時、当然の結末とさえ言えるのかも知れません。
この女性の場合は、自ら意を決して教団を離脱してきただけあって、リーダーからのエネルギーコードも形骸化したものであり、これから先、彼女の人生に影響を及ぼす様に、私には見えなかったものです。
全てのセッションを終えた後でこの女性が『見て頂けますか…。』と一枚の写真を取り出しました。
そこには教団結成以前、まだ温和な雰囲気の当初の頃のリーダーや、共に賛美歌を歌った仲間達と共に笑顔で並ぶこの女性が写っていました。
この時、女性の頬には涙が伝わっていました…。
私に万感の想いで写真を手渡しているのがわかる様で…
今ここで、まるで船上から汽笛と共に過ぎた過去を船の後に出来る緩やかな波頭を見つめる様に…
過去の自分を手放し、本当の意味で新たな一歩を踏み出そうとするその決意を感じるばかり…
最後に『今日は人生の良い記念日となりました…。写真はこれで思い残す事なく処分出来そうです…。またいつの日か正仙さんとお会いしたいと思います…。』と自坊を後にされたのでした。
私も『お元気で…』とその後ろ姿を見送りましたが、二度とお会いする事はないものを感じていました…。
これから先の人生を自らの足でしっかり歩いて行くであろうその力強い姿に…
私はこの方をバス亭まで見送りながら…
何故か昔TVで見た『草原の輝き』と言う古い映画のセリフを思い出していました。
草原の輝き 花の栄光
ふたたびそれは還らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められた力を見出だすべし
【完】
合掌