昨日28日はお不動様のご縁日でした。
浄霊と先祖供養の出張ワークの後で、横浜中華街へ…
頬を刺す様な冷たい風が吹く中、中華街の真ん中にある関帝廟に行ってきました。
三国志で名高い英雄、日本でも人気の『関羽』関帝聖君を祭る廟であります。
明治六年に創建され、震災や戦災で焼失する災難にも遇いながら、華僑の方達の熱意で再建されて来た歴史を持つ廟でもあります。
中国後漢の時代、世の乱れから民衆を守るべく、劉備、張飛と義兄弟の盃を交わし立ち上がった関羽…
終生一貫して劉備に忠誠を貫いた愚直なまでの男の姿…
義侠心厚きその姿に若い頃の私は憧れたものでした。
私は今まで、何人もの透視をされる霊能者の方から…僧侶や行者として修業に明け暮れるいくつもの過去世と共に…
「あなたは中国の戦乱の時代に生きた武将です。」
「あなたは昔の中国で王を倒すべく暗殺者としての生涯を過ごた過去生もあります。」
などと言われたものです。
そうした過去世から来るDNAと言うものは、今世でも影響を受けてきた事に違いありません。
極道の世界に飛び込んだ経緯も、僧侶に成った事も私にとって、気まぐれな経験ではなく必要必然だったに違いありません。
人間と言うものは面白いもので、過去世での生き方や趣味嗜好が現世でも反映されている場合が多いのです。
修行や争闘と言うもの…
信念に生きる自分…
そうしたものからさえ自らを解き放ち、自由な見地から「自らを生きなさい」と言うところにも、今世での私達のテーマがある様な気がするのです。
過去に極道だった人生を語るのも私のひとつの姿…
法衣を身につけ密教僧としての活動も私のひとつの姿…
透視ヒーラーとして多くの方に施術するのも私のひとつの姿…
友人達と山登りを楽しむのも私のひとつの姿…
カラオケで歌い興じるのも私のひとつの姿…
人間は平面図にあらず!
生き方も趣味嗜好も多様性があって良いに違いありません。
世俗を断ち全一的に僧侶として生きて行った方が良いのでは?
極道当時の事など私が語る事など許される事なのだろうか?
何度も私の頭をもたげて来た事でもありました。
でもそうした事でさえ、自らを『定義』している事に他ならぬと気付き手放して行く時、過去の私の生き方を語り多くの人の共感に触れる機会に恵まれ、僧侶としての活動さえ充実したものがもたらされる様になったのです。
何か掴んでいるものを手放す時、自らの元に求めていたものがやってくるのも逆説的な宇宙の真理であるのかも知れません。
そしてそれは今まで自分の経験した事が何一つ無駄ではなかった事を自ら追認する事でもあったのです。
関帝廟は赤を基調とした風水カラーに彩られた美しい建物でした。
清浄な気に満ちており、パワースポットとしてのエネルギーもとても強い様です。
長い間華僑の方達ばかりでなく、日本の多くの方が心の支えにしてきた御神力もそこに満ち溢れている様に私に感じられたものです。
息災円満の神としてばかりではなく、そろばんを発明したと伝説のある関羽は商売繁盛の神でもある様です。
横浜中華街に行かれた時は、関帝廟を訪れて見るのも良いかも知れません。
少しばかりの心の塵や垢など払ってくれる、そんなパワフルなエネルギーに満ちた場所でもあります。
関帝廟で五体投地で御挨拶を済ませた私は、中華街の美味しい中華料理や小籠包をたらふく御馳走になり、愛犬チビの待つ自坊へ帰る愚僧でありました。
合掌