おはようございます。

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ここのところ陽気のいい天気が続き、日中など暑さを感じるくらいですが、日が落ちると肌寒くなったりと…

それはまるで若い綺麗な女性に振り回される中年オヤジの落ち着かざる心境に似たものもあるのかも知れません(笑)

今日16日は効験抜群と言われてきた大聖歓喜天(かんきてん・ガネーシャ)ご縁日でもあります。

その昔…密教僧といえども、徳を積み学を修めた者しか拝む事のかなわなかった秘仏中の秘仏と言われています。

私などは学もなければたいした徳も積んでおりませんが…笑

一般の方は、『聖天・しょうてん』というと何か敷居の高い神の様に感じる方も多い様ですが、『ガネーシャ』というと…まるでビジュアル系の神様の様で親しみやすいと言われる方もいたりします。

聖天は賞罰の激しい神として有名ですが、中途半端に拝むくらいなら信仰しない方がいいと言われるくらいチェックの厳しい神との言い伝えもある様で…

お寺によっては信者、信徒の方に聖天の本尊を家に置いて拝む事はまかりならん!と説いているところもある様です。

お坊さんや行者の中には、この聖天や毘沙門天といった天部の神の御本尊の前を通り過ぎる時、その恐ろしさゆえに目をつぶって通り抜ける方もかつてはいたそうです。
(((;゚;Д;゚;)))

でも、これだけでは怖いばかりの神で…手を合わせていいのやら悪いのやら?

訳もわからず、敬遠モードになってしまいますよね…笑

でも、裏を返せばそれだけ迅速に効果をもたらす神であるがゆえに、恐れられた歴史もそこにはある様です。

昔の密教僧は、時には日本の国難ともいうべき時に、外敵の侵略を防ぐ為に一命を賭して登壇し祈祷した歴史があります。

また昔は、お坊さん同士がその験力(サイキックなパワー)を競い、それこそ聖天などの祈りの効果の速く出る神仏を媒介として、お互いの命の取り合いをしたダークな呪術としての歴史もあった様です。

しかしながら『人を呪わば穴二つ』という言葉は、例え法力のある僧侶でも逃れる事は出来ません。

神仏の見せる慈悲とは程遠い、こうしたところからは何も生み出されるものなどないはず…

『投げれば投げつけられる』力の連鎖、暴力の連鎖がそこにはあるだけです。

日本仏教の歴史からみれば、その裏面史とも言えるこうした事情も聖天や天部、密教の神仏のキャラクターに影響を与えているのかも知れません。

しかしこれも今や昔の話しでもあり…

宗派を問わず、僧侶が慈悲と衆生救済に生きる身である事は今も昔も変わりません。

聖天、ガネーシャは、豊饒をもたらす神でもあり、書く事をサポートしてくれる学問の神としても知られています。

それと同時に、人間が生きて行く上での障害と言うものを、前を歩く巨象が、道を踏み慣らすごとく、取り除いてしまうパワフルな神でもある様です。

仏教やヒンズー教に帰依していなくとも、スピリチュアルな観点からガネーシャを慕い敬っている人も多い様で…

特定の礼拝をせずとも、ガネーシャの恩恵を受けたと言う人も数多くいる様です。

信ずる所に『神』はやってきます。

最近、多くの方から読んでいるこちらがホロリと来る様な有り難いコメントやメッセージが相次いでいます。

本当に有り難うございます。

読者の方、コメントやメッセージを下さる方の身体健全・心願成就を世界平和・日本国安泰と共にお祈りさせて頂きます。

合掌

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