愛する人とハグしていますか?

あなたは愛する人とハグしていますか?

主人や奥さんや恋人や子供さんとハグしていますか?

こんな事を言うと…

「誰が、あんなトドの様な女房といまさらハグなんか出来るか!」

「あ~らっ!冗談じゃないわ!あんなタヌキの様な亭主とハグなんか出来ないわ!」

「ここ最近、夜のお勤めもご無沙汰なのに、ハグって今さら言われても、それじたいに無理があるよな」

「ウチは子供を甘やかす気はないので、ハグなんか考えた事もないわ!」と…

各ご家庭から様々な声が聞こえてきそうでもあります。笑

このハグする習慣と言うもの、欧米の人達とは違い、日本人にはまだ馴染みの薄いものでもあるのかも知れません。

周りを海で囲まれた日本は、大陸の影響をあまり受けずに独自の文化、『恥の概念や謙譲の美徳』などの価値観を形成してきた歴史があります。

派手なゼスチャーで、その時々の悲しみや喜びを表現するアメリカやヨーロッパの人達

人との再開を喜ぶ時、家族への愛を表現する時、お互いの業績を讃えあう時、人の新たな旅立ちを見送る時、失意の悲しみの渦中にある人を癒す時等そこには色んなヴァリエーションさえある様です。

日常のあらゆる場面で自然にあたりまえにハグをする欧米の人達を見る時

少しばかり照れや気後れを感じるのも事実です。

我々日本人と云うものは、悲しい時や辛い時は勿論の事、嬉しく喜ぶべき時でさえ、周りを気遣い、自分の感情を表にださぬ事を美徳とする、ストイックな国民性を持った人種です。

私はそんな日本や日本の人々が大好きな一人です。

美しい一年の四季があり、その季節事のエネルギーの変容が、日本人の繊細で美しい人生観や感性に影響を与えているに違いありません。

『一期一会』という言葉があります。

まさにこれが最後の逢瀬と思い、精一杯のもてなしをする…

会社や自宅にこの言葉を額装し、掲げている方もいたりもしますが…

私は思うのですが、この『ハグ』をする事こそ、日常で最も簡単に実践できる、『一期一会』だと思うのです。

先日、TVで9・11テロの犠牲になった家族を扱うドキュメント番組が放映されていました。

その中で、今まさに旅客機か貿易センタービルに突入しようとする時、その飛行機に乗っていた男性が、家族の元に電話を入れ、遺した言葉…

「本当に今までありがとう…いつまでも愛してるよ」と、避けられぬ『死』というものを目の前にした時に見せる人間の偉大さ、美しさに私達は心打たれます。

崖から転落事故に遭い、奇跡的に生還した人が、転落の刹那を振り返り

「時間が止まり、転落までの瞬間がとても長く感じた」と命の深遠さを感慨深げに語る話しなど、例え違ったケースでも見聞きした事のある方は多いのではないでしょうか?

そうした死の刹那、思いを巡らす時間が多少なりとも許されているとしたら…

あなたは何を思いますか?

やり残した仕事の事でしょうか?

自分がヘソクリしておいたお金の事でしょうか?

自分が死んだ後の財産の行方でしょうか?

駐車場に止めて来たメルセデスの事ですか?

奥さんに内緒でアバンチュールを楽しんだ美しい女性の事ですか?

自分が他の人に貸した高額なお金の事ですか?

人間が死を目の前にした時、それも僅かの時間しか許されていなかったとしたら…

こうした事に人間は思いを巡らすのでしょうか?

人間が死を迎える時、見栄や虚勢も社会的立場も財産も何等、意味を持たなくなるのではないでしょうか?

ただ、そこにあるのは『裸の魂の言語』だけ…

思うのは妻や夫、子供や親や兄弟、愛する人、自分の人生に最も深く関わり、身近にいた人なのではないでしょうか?

人はいつ死を迎えるかわかりません。

親子といえど、夫婦といえど、我々が知覚ではわかり得ない魂のレベルで、この現世でのレッスンを終え、旅だつ決意をした時には抗えないに違いないのです。

時には愛する人の死を、また自らの予想だにしない死さえ受容しなければならないのも人間の様です。

皮肉なもので、人は死が避けられないものになった時こそ、初めて自分の人生に意味を見出だす生き物なのかも知れません。

だとしたら…

死を恐れるのではなく、今この瞬間この時、宇宙の歴史からすれば、砂粒にも満たない人間の一生

その短く貴重な人生で、天文学的な数字の確率で出会い、共に暮らし、時には笑い、時には泣き、ドラマを繰り広げる共演者、それは親兄弟や妻や夫、そして愛しい子供達…

この世で出会えた事の喜び、共に生きる事の喜び、尊敬、感謝、愛というものをお互いに伝えあい確認する最も簡単なスキンシップ

その一つとして『ハグ』があっても良いと思いませんか?

例えば、お母さんが勉強中の子供さんに夜食を持って行った時に、子供の肩に手を置いて「頑張ってね!」と声をかけるだけでも…

お母さんの手を通して優しい愛のエネルギーが子供に流れて行きます。

ハグと云うのは単なるセレモニーではありません。

学校から帰って来た子供をハグする時…

親は子供の異変(学校で子供が受けている不当化イジメなど)に気付く事があるかも知れません。

なぜなら、ハグをする事によってお互いのエネルギーを交流させているからです。

感覚的に鋭い人ならば、ハグをするだけで、相手の精神的な不安や、体調の良し悪しを漠然とながらも感じとる事が出来るかも知れません。

私が過去にヤクザの組長をしている時、多くの若い人達が私の元を訪れました。

「若い衆にして下さい!」

と暴走族あがりの子もいれば、チーマーの様な若い子、少年院帰りの子…

でも、たまに何をどうしたものか?場違いな若い子が迷い込んでくる時がありました。

裏社会で生きる資質はその人間の目や物腰、話し方にありありと出てきます。

私からどう見ても、太陽の光りを燦燦と浴びて育つひまわりの様に、親の愛情に恵まれ育った若い子がヤクザの生き方に憧れ私の元に飛び込んでくる時がありました。

そんな時私はかわいい目をしたこんな子が、向かい風の強い世界で辛い目に遭うのが目に見える様で気の毒でもあり…

わざとヤクザの厳しい一面を見せ、「親元へ帰れ!」と追い返してしまった時もあります。

ただ当時の私は殊勝な考
えを持っていたのではありません。

こうした親の愛情を万遍なく受けて育った子というのは素直なだけに、事件を起こした時に警察の取り調べに耐え切れず、心が折れてしまいこちらに被害が及ぶという…

実利的に判断する部分も大きかったのです。

幼少の頃より両親より(例え片親でも)ハグを受け、親の愛情を肌身に感じて育った子がグレて非行に走るでしょうか?

過去にヤクザの世界で生きてきた私にとって、それはとても考えづらい事でもあります。

青春の多感な時期、まかり間違って、警察のお世話になる事があるかも知れません。

でもそんな時、その本人にとって、親から子供の頃よりハグを受け、両親の愛情を身を持って知ってしまっているというのは決定的な意味を持つのではないでしょうか。

親の愛を裏切ってしまったという想い、後悔する気持ちが、親と交わしたハグの画像と共に思いだされ…

魔がさした様な一時的な間違いはあっても、それ以上反対の極へ自らを投げ込む事は出来ないのではないでしょうか。

ハグという行為は子供の非行化の橋頭堡にさえなり得ます。

母親は子供が成長する上で多くの引き出しを持つ魔法使いであると同時に、心理カウンセラーであり、子供に取っては、誰も敵わない癒し手であるのかも知れません。

残念ながら父親というものは、自分の背中で子供に人生を語る様な大きな意味での生きるガイドラインの役割は果たせても

信念や固定観念の強い男性にとって、子供の感情や心の機微をキャッチする事は苦手なエリアでもあります。

ですから家庭ではお母さんが音頭を取り、家族でハグする事を提案されたらいかがでしょうか?

勿論子供のいない恋人同士でも、ハグするだけでも、くだらない痴話喧嘩を解消したり、事前に予防する働きを持つものかも知れません。

自分が率先できる立場にあるなら、会社で仕事の終了時などに皆でハグするというのはどうでしょうか?

皆の士気も揚がり業績もアップするかも知れません。

ただその場合、若い女性社員から嫌われぬ様自分の体臭のチェックをする必要があるかも知れませんが… 笑

それとこれは相乗効果の様な話しですが

ハグをする習慣は強力な浮気防止対策になるのではないでしょうか?

ただでさえ鋭い女性の勘!

帰ってきたご主人に「お帰りなさい!」と手を広げハグをしようとするあなたの脇をまるですり抜けるかの様なその姿…

あせるう、うん…ちょっと先に風呂に入ってこようかなあせる」などと言う時は要注意!の赤信号かも知れません(笑)

ご主人を会社に送り出す時…

学校に向かう子供を送り出す時…

愛あるハグをする事で明るさと優しさに満ちた一日をスタートできると思いませんか?

合掌

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