普通、真言僧というと…
「お不動さまをしっかり拝みなさい」とか
「仏に帰依しなさい」などと言うお坊さんが多いのではないかと思います。
私はある時期からこの事について考える様になり、自分の中に?マークが点灯しはじめたのです。
神や仏への帰依や信仰と言うものも、人それぞれなものがあって良いのではないかと…?
今良く言われる地球の次元が上昇し、霊性の進化を迎えると言われる2012年12月のアセンションですが…
私はすでにこの身を持って体験しているのかも知れません…。
何故かと言えば…私の様な長い間極道の社会にいた人間が、得度し僧侶になり、ヒーラーになり、以前の生き方とは対極とも言える癒しの仕事をする様になったのですから…
仏教であれ、キリスト教であれ、ヒンズー教であれ、イスラム教であれ、またスピリチュアルであれ、それぞれをステンドグラスと考える時に、神の光は均等に注がれている様な気がします。
悟りへの道というのもひとそれぞれ、色んな山の登り方があって良いと思うのです。
霊的に向上したい、ヒーラーになりたい、ひとのオーラが見える様になりたい、ワンネスを経験したい、あるいは人生を好転させる為に神との明確なつながりをもちたい
今の時代、その様に考えている方はとても多い様な気がします。
でも私達は忘れています。
自分の全てを知り、この現世で自らが経験したい事の全てを知る内なる神がある事を…
それこそ高次の自分ハイアーセルフです。
日本では色々なワークをされる先生方がいて、守護霊の存在を重要視する方や、先祖供養を説く方、神社仏閣に詣でる事をすすめる方など色々とあります。
そこには素晴らしい教えもたくさんありますが
他の霊的存在、守護霊と呼んでもいいし、ガイドと呼んでもいいのですが、そうした存在に心を開き自分を委ね過ぎてしまうのはどうでしょうか?
例えばそれがあなたの六代前の先祖、または過去には肉体を持っていた力のある修験者や僧侶、またはサイキックな力を発揮したシャーマン等々…
そうした存在があなたのオーラのなかに居座っているとしたらあなたは気持ちがいいでしょうか?
守護やサポートを受けられるのだからその方が良いという方も実に多っかたりします。
でもそこには、重要な事は全てそうした存在に決定を委ね、自分自身を他の存在に依存させる事を良しとしてしまうおバカさんの状態を作り上げてしまう危うさもそこにはあるのではないでしょうか?
霊的に見ると、そうした他の霊的存在に身を委ねる事は、頭のクラウンチャクラにエネルギーコード(サイキックコード)をつけられ、盲従するかの様なコントロールを受け
自分の意志で創造が出来ない状態に陥りやすく、カルト教団や新興宗教の信者にも多く見られたりもします。
私も自分自身で体験しているので良くわかります。
自分の体験記は後日書きますが、私自身は一日の終わりに今日出会った人、出来事、僧侶としてのお勤めさえもその全てをオーラのなかから浄化するスキルをつかい、オーラをクリアにする様にしています。
人が生きて行くうえで、最高のナビゲーションは自分の内側にあります。
それはエゴからくるマインドではありません!
それは深いところからくる感情もそうですし、ハイアーセルフに聞く事も出来ます。
瞑想中に訪れる啓示、就寝中の夢、インスピレーション、出会った人の言葉から、たまたま電話した会話のなかから、テレビ番組のなかから、開いた本のページから、前を走る車のナンバーから、あらゆる形であなたに必要なメッセージを送ってきます。
メッセージを受けとるうえで自分のエネルギーがクリアになっている事も大切なので
瞑想を始める事や、ヒーリングのセミナーやスクールに通うなど、その人にあった方法があると思います。
今日は思いつくままに書いてみました。
合掌