近所に見る老いと夫婦善哉

スーパーで買い物を終えて自転車を出そうとしていると、後ろから『おーい!元気でしたか!』と呼ぶ声が、誰かと思い振り返ると、スーパーカブにまたがる、かつてウチの近所でラーメン屋を営んでいたオヤジでした。

私がヒーリングルーム吉祥を開業した頃に来られた方など、このラーメン屋のある角を曲がってすぐが私のサロンだった事から記憶に残っている方も多いかも知れません。

極道当時からの習いで飲食店の店主や店長などいまだ一律同文にマスターと呼ぶ傾向のある私ですが(笑)久しぶりに会ったマスターは顔に深いシワもめっきりと増えたものの、それでも八十代前半には見えぬ元気な様子で、声音に張りもあり相変わらずなものを感じたものです。

このマスターがラーメン屋を閉める少し前、これも高齢ながら年齢には見えぬ女性が手伝いに入っていたもので、マスターもこの女性をママと呼ぶ様になり、懇ろな間柄になるまでに時間もかからなかった様ですが、この高齢の女性が分譲マンションなども所有していた事から逆玉よろしく、この女性のマンションにマスターは転がり込んだもので、やがて昭和四十年代から開業していた住居兼のラーメン屋を閉店したのでした。

私はこのラーメン屋で頼むのはチャーハンばかりでしたが、そんな時、カウンターの内側にいるこの二人のやり取りを聞いていると、貯金もあるというこの女性の中で経済的に面倒を見るかわりに、マスターに老いて行く自分の世話を託すバーターされた思惑がある様に思えたもので、世話好きで人情味のあるマスターの人柄をよく見抜いているなと感心したものです。

案の定、あれから約10年が経った今、籍を入れずとも内妻同様に暮らしてきた女性は大小垂れ流しで意識もおぼろげでいつ死んでもおかしくないと話すマスターでしたが『ヘルパーさんなんかも来るけど、お尻は誰にも触らせないくらいオイラが世話をしてます』などと、このマスターらしい面目躍如な事を話していたものです。

私が今の土地に引っ越してきた20年前、近所の皆さんは闇金の親分が来たのか?ヤクザの事務所に様変わりするのではないのか?と少なからず戦々恐々としていた様で、そんな中でもこのラーメン屋のマスターは元気よく挨拶をしてきたりで友好的だったものです。昔は多少遊んでいた事もあるらしく、赤羽辺りにあった古い愚連隊の名前を出してきたりと、『堅気がかぶれた様に不良の名前をかたるな』とばかりにそんな話には素っ気無い態度しか示さない私でしたが、

それでもお手製のどぶろくを一升瓶で何度となく持ってきてくれたりと、交流は続いて行ったもので(最高に美味いどぶろくでしたが、膨張する気を抜くのを忘れて、ある方のところへ献上しようとした際にエレベーターの中でスパークリングワインの様にシュポーンと一升瓶が派手にはぜてしまった事がありました 笑)

このマスター、当時セルシオなどに乗る私を見ているし、私を車で迎えに来る若い衆の姿なども見ていた事から、私が裏稼業に生きる人間である事は承知していたに違いありませんが、ある時を境に頭を丸め、車も手放し作務衣姿でボロい自転車に乗って近所を徘徊する様になった私の姿に驚いた様で、坊主になったと言う私の言葉にも初めは半信半疑に偽装ではないのか?と疑っていたフシがうかがえましたが(笑)若い衆の出入りも途絶えた事から信ずるに至った様です。

このラーメン屋、当時は夜になると麻雀卓を出してのプチ雀荘に早変わりしたもので、またある時はチンチロリン(サイコロ賭博)のサイコロがどんぶりを打つチロリーン、チロリーンという音を夜な夜な響かせていたもので、私などにも麻雀どうですか?と声をかけてきたものでしたが、近所相手に博打は御免と『俺は三人打ち(博打麻雀)しかしないから』とていよく断っていたものです。こうした事から店で酔客同士のトラブルも多く、パトカーが来る事も度々で、深夜にガラガラと響く麻雀牌の音に痺れを切らしたラーメン屋の隣に長年住む男性から胸ぐらをつかまれ引きずり回されたあげく土下座までさせられたマスターでしたが、こうした恥かき話も大人の学びと言うもので、知らぬ素振りでいた私でもありました。

このラーメン屋に出入りしていた客なども冬の最中に泥酔の上放り出されて路上で寝ていたりと、凍死してもいけないので『オイッ、オジサン起きなよ、凍死するぞ』と起こして見たり、高齢の酔っぱらいに馬鹿にされたと馬乗りのマウントの体制からボコボコに殴る若者を止めて見たりと、その他にもやはりこのラーメン屋の客で、コンビニの前にうんこ座りをしてたむろす近くの高校生に『俺だって昔はツッパリだったんだ』と電気がついた様にリア突した人間もいたものでしたが『💦何あのオジサン、ちょっとキモいんだけど』と女子高生にも笑われる始末で、ある時など私に『私はここが地元で育ったんてすが、親族にも見放されてこの年までいったい何をやって生きてきたんだか、どうしたら良いのかさっぱり分かりません』と葛藤の胸の内を語っていたものでしたが、その後、ラーメン屋のマスターとも仲違いし、カチコミをかける様に(笑)店で暴れたあげく程なく死んだ事なども聞いたものです。

冬場などこのラーメン屋の前で『オジサン、大丈夫か?歩いて帰れるか?』とよく起こした前述の泥酔の男性なども『あっ、はい、大丈夫です。帰る家あります、ありがとうさんです、ありがとうさんです』などと、ヨロヨロ立ち上がり『いーのーちーみーじーかーし、こーいーせーよーおとめー♪』などとゴンドラの唄を音痴に歌いながらフラフラと蛇行する様に歩いて帰って行く後ろ姿が、この男性のこれまでの人生を映し出している様で、何とも哀れに映ったものでしたが、それから間もなくしてやはり死んでしまった様です。

冒頭のラーメン屋のマスターもしっかり者のママさんに逆玉で上手い事老後の安心を勝ち得たかと思いきや、バイクの車輪のスポークが足に突き刺さる程の事故に遭ってみたり、また回復途上で足に入れた金具が皮膚を裂いて表に飛び出す様な目に遭ったりと大変な思いもしているのですが、会えば破顔一笑、泣き事は言わず、老いて行く自分を受け入れながらも明るく快活そのもので、私のご近所のご婦人達でも昭和十年代生まれと、私の母親と同年代の方が多く、おかげで私なども町内でヤング(死語)の扱いを受けるものですが(笑)こちらの知らぬ間に救急搬送されて一命を取り止めていたとか、凛と健康そうに見えても大きな手術を何度も経験し『健康そうに見えるでしょ、でもね、こう見えてもいくつも手術してあっちこっち切り取られているの』と話してくれる方や、それでいて夫婦で河川敷を散歩したり、勝鬨橋の方までサイクリングに行く方もいたりと、苦しみにへこたれずアクティブに日々を楽しむ姿勢に見事なものを感じる方が多かったりします。

私などは元極道の僧侶という事で、真逆の世界に転身した様なイメージから波乱万丈と見られる事が多かったりします。でも、私はお釈迦様が苦の娑婆(苦しみの世界)と喝破したこの世界で生きる以上、誰しも波乱万丈ではないのか?とよく言わせて頂くものです。ただ、その波乱万丈の線形、快不快の波が違うだけであって、何も裏社会からの転身や更生だけが、また仏門入りだけが該当するわけではなく、声には出せぬ忍従の日々にも、単調な日々に報われぬものを感じる事にも、不自由な人に寄り添う葛藤や気付きにも、それぞれにしか分からぬ波乱万丈は用意されているのが私達の生きる世界で、表に見える出来事や転身や達成、ダイナミズムで波乱万丈と評したり、評価するのも人間社会の常ですが、私などはこの現世を心の世界と観じるもので、表に出ない心情過程、気付きや成長、内面での変化変容というものが何より大切と思うものです。
(リアルな責任や対処を放棄するという事ではありません)

ご近所の方達より最近なども生ゴミや可燃ごみの収集の際に上からかけるネットの当番の事で相談を受けたもので、高齢の方など、朝起きてゴミ収集車が来た後に家から出てネットを畳む作業にも疲れや関節の痛みが生じるなど、苦痛の種となっていた様です。こうした事から野良猫も最近は出なくなったので、ネットはかけずに様子を見ようと言う事になったのでした。若い夫婦なども居住する町内ですが、共稼ぎである場合も多く、こうした事からネットの当番を免除されている事から、よもやゴミ出しネットの折り畳みぐらいでそんな辛い想いをしている人がいるなどと思いもよらない事に違いないのです。

この様に自分の預かり知らぬところで人に迷惑をかけたり、また苦しみが生じている事などに気付くと言うのは、幽霊やオバケを見たと言うより(笑)はるかに大切な、見えないところを見る人間の能力と言えるのではないでしょうか?

冒頭のラーメン屋のマスター、長年に渡りペットボトルや空き缶や空き瓶、ダンボールや新聞などの回収日に出す折り畳み式の分別回収ボックスの出し入れを他の人に頼らず担当してくれていたものでしたが、ラーメン屋を畳んで引っ越す際に『今度は俺がやらせてもらうよ』と、特にマスターの志を継ぐものでは無いのですが(笑)それ以来、土曜日になると私が出し入れを行ってきているもので、そのおかげでご近所から感謝される事も多くなり、距離も縮まり良かったと思っております。

今は新築の戸建て住宅が立ち並ぶかつてはラーメン屋、居酒屋、スナックと並ぶ一角を懐かしく思い出す愚僧であります。

 

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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