☆お釈迦様の言葉【対句】ダンマパダより

 

下記ダンマパダ『対句』の冒頭にある『心はすべてのものごとに先立ち すべてを作り出し すべてを左右する』これだけでも仏教の核心を突く言葉ではあるものの、人間などという生き物はとかく自我(エゴ)の働きによって、地味に心をみつめる作業などまっぴらごめん💦と向けられるもので、とかく所有を夢みて、それが金でも人でも物でも地位でも自分のものとしてしまえば、豊かさや心の平和も充足感も自動的に得られるに違いないと信じていたりするものです(チョットは省みる気持も気付きに至る手前でノイズに飲み込まれてしまう)

 

裏切られては傷つき、喪失しては傷つき、どれだけ無常の因果法則が、人間の冒険活劇の屋台骨の裏側の儚く脆い脆弱さを晒そうとも、あがき争闘する事こそが血の通った人間の一生と、肉体こそがすべてと、自我が用意する決断と台本に従い、気付いた時は何を得たのか分からぬままに死んで行く。これが多くの人の一生に違いないのではないでしょうか?

 

私が恵まれていたのは、子供の頃から他の子供が何ら躊躇無く無作為に通り過ぎて行く事に引っかかりを生じるところにもいずれ精神世界に向けられるものもあったと思うし、何よりも極道の世界で暴力や報復の連鎖、快楽や虚栄の芯にあるもの、その代償、感情にかみつかれるままの無軌道な行為の数々、そこからもたらされる因果を身を持って体験学習出来た事が大きい様に思うものです。

 

ダンマパダより

『対句』

 

心はすべてのものごとに先立ちすべてを作り出し、すべてを左右する。
もし人が、汚れた心で
話し、行動するならば
その人には、苦しみがついてくる。
車輪が、荷車を牽く牛の足跡についていくように。

 

心はすべてのものごとに先立ちすべてを作り出し、すべてを左右する。
もし人が、清らかな心で話し、行動するならばその人には、幸せがついてくる。
影が、からだを離れることがないように。

 

『あの人は私を罵った。あの人は私を傷つけた。あの人はわたしを負かした。あの人はわたしから奪った』そういう思いを抱く人からは恨みはついに消えることがない。

 

『あの人はわたしを罵った。あの人はわたしを傷つけた。あの人はわたしを負かした。あの人はわたしから奪った』そういう思いを抱かない人からは怨みは完全に消える。

 

じつにこの世では
怨みが、怨みによって消えることは、ついにない。怨みは、怨みを捨てることによってこそ消える。

これは普遍的真理である。

 

わたしたちは、必ず死ぬ運命にある。
人々はこのことを理解していない。
しかし、人がこのことを意識すれぱ争いは静まる。

 

感覚器官をコントロールせず、節食せず
感覚的快楽を追い求め
怠りなまける人は、悪魔にうちのめされる。
根の腐った樹木が風に倒されるように。

 

感覚器官をよくコントロールし、節食し
感覚的快楽を追い求めず信念を持ち、励みつとめる人は
悪魔にうちのめされることはない。
岩山が風にゆるがないように。

 

(心の)汚れをぬぐい去らずに僧衣をまとう人は自制心もなく、真摯さもなく
僧衣をまとう資格がない。

 

(心の)汚れをぬぐい去り戒めをきっちりと守る人は自制心もあり、真摯さもあり
僧衣をまとう資格がある。

 

正しくないものを、正しいと見なし
正しいものを、正しくないと見なす人は
誤った思いにとらわれて真理に達しない。

 

正しいものを、正しいと知り正しくないものを、正しくないと知る人は
正しい思いに従って
真理に達する。

 

家の屋根を粗雑に葺けば雨が漏れ入るように
心を修養しなければ
情欲が入り込む。

 

家の屋根をよく葺けば
雨が漏れ入らないように心を修養すれば
情欲は入り込まない。

 

行いの悪い人は、この世でも、あの世でも
ふたつのところで共に憂える。
自分の汚れた行いを見てかれは憂え、悩む

 

行いの善い人は、この世でも、あの世でも
ふたつのところで共に幸せがある。
自分の清らかな行いを見てかれは喜び、幸せである。

 

行いの悪い人は、この世でも、あの世でも
ふたつのところで共に悔いる。
『わたしは悪いことをした』と思って悔い
悪い境遇(地獄)に堕ち、さらに苦しむ。

 

行いの善い人は、この世でも、あの世でも
ふたつのところで喜ぶ。
『わたしは善いことをした』と思って喜び
善い境遇(天)に生まれ、さらに喜ぶ

 

たとえ教えを数多く諳んじていても
それを心がけ、実践しない人は
他人の牛を数える牛飼いと同じで
努める人の部類には入らない。

 

たとえ教えは少ししか諳んじていなくても
正しく理解し道理にしたがって実践し
貪りと怒りと迷妄捨て
心が解放されていて、執着しない人は努める人の部類に入る。

 

合掌     

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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