私は二十代初めとちょうど三十の頃の2回に分けて刺青を入れたものです。当時は当然の事ながら私は極道世界の住人で、両腕には鯉、背中は金太論の抱き鯉、腹と太腿には阿修羅が三体、腹の阿修羅は奈良興福寺の国宝指定の阿修羅に似せたものですが、両腿の阿修羅は憤怒の表情で本来は天部の仏でありながら、彫師のオリジナリティが発揮され(笑)仏の持ち物が軍荼利明王ともつかぬ真言密教の明王バージョンになっており、腕は八分袖の長さまで入れ墨し、諸仏諸尊の種子梵字の入った数珠のデザインの刺青を手首、膝上に巻き総身彫り(どんぶり)にて仕上げたものです。
※彫師は神経を全集中させる仕事なせいか、薬や酒に逃げる様に溺れる人間も多く、ポン中(覚醒剤中毒)やアル中も多かったものです。また昔は入れ墨に用いた針を簡単に煮沸する程度で他の人間にも使用したりで、肝炎持ちのウイルスが感染し、肝硬変になり命を落とす人間も多かったもので、シャブの注射器による回し打ちなども同様に。
ヤクザ教とでも言うべき気概に生きた当時、背中の金太郎の抱き鯉は鯉の滝登りでも知られる出世開運、逆境にも負けぬ意気を表し、その他にも『いつでも、何でもどんと来い(鯉)』と(笑)やはり刹那的に生きるその世界に生きる人間の信念、矜持を表す絵柄でもあり、背中に鯉を刺青するヤクザは多かったものです。
しかしながら当時は仏教に帰依するものもなければ、さしたる信仰心があるわけではなかったのですが、元は忉利天で正義を司る神でありながら、娘を帝釈天に知らぬ間に取られたと飽くなき闘いを挑み、執拗で手強いと見た帝釈天から酒をしこたま飲まされ泥酔したところを天界から投げ落とされても地底深くで阿修羅王として闘争の権化として帝釈天に挑む姿、そして後に護法善神となるその神話にどこか『非天』の別名の通りの高尚では無い人間臭さを感じ、また、ヤクザたる者、内にも外にも常在戦場で(油断無き心理戦の世界でもありました)安息など望むべくも無いものと覚悟を自らに刻む意味でも、不動明王や毘沙門天、観音を入れ墨する人間が多い中、腹や太腿に阿修羅を入れたのでした。
でも、今思えば、阿修羅や梵字の入った数珠を刺青するなど、その後の仏門入りは約束されていたものが印として現れていたに過ぎないのかも知れません。
玉散る剣を抜き放ち、飽くなき闘いを挑む阿修羅は戦闘や争いの神として姿、形はカッコの良いものに見えるかも知れませんが、内面に安息は無く、葛藤や憎悪、妬心渦巻くそれであり、まさしくその阿修羅の内面こそが、刺青以後の私にダウンロードされたかの様でもありました。
刺青というのも不思議なもので、『入れ墨に負ける』とは当時よく言ったものでしたが、たとえば、顔に切り傷のある落ち武者の生首を入れ墨したりすると、当人の顔の同じ場所にチャック(切り傷)が入るハメに至ったり、また顔つきも似てきて事故や病気、身内の不幸や災難続きになったり、不動明王を刺青すると事故で炎に焼かれるとか、骸骨を入れると早死にするなどと迷信じみた事を言う人間がいたり(笑)と、人を泣かせてメシを食べる極道はただでさえ悪業を積み重ねて生きるもので、相応の報いを受ける事に於いて刺青のせいにばかり出来るものではありませんが、でも、入れ墨の絵柄が乗り移ったかの様に思える人間もいたものです。
でも、当時よく思ったのは背中に能面で知られる般若などを入れる人間は顔も鬼の様になり、天女を入れる人間などは良く言えばイケメン、顔立ちは女顔の人間が多かった様に思うもので、決して女性蔑視などでは無いのですが、不良の世界で、女顔の人間と云うのはタチの悪いのが多かったなと回想するものです。
両手の平にある小さなキリスト像を焼き、熱さに耐えながら『ガン(拳銃)とナイフに生き、ガンとナイフに死す』とはマフィア(イタリア系)が構成員となる際に唱えたという誓約の誓い、裏社会に生きる契約そのものでもありますが、私なども阿修羅の刺青を入れる事に依って、弱きを助け強きを挫く綺麗事の任侠道よりも、信じた親分や兄貴分に誠を預けても、身内(同じ組)といえどもいざとなれば殺し合いも辞さぬヤクザ道とでも言うべき覚悟や信念、抗争で長い懲役となり獄中で果てても悔いなきものを身体にシンボライズするかの様に阿修羅を刺青した私でしたが、
そんな私も紆余曲折、気付きと葛藤の荒波(神秘体験も)を経てヒーリングなどを行う真言僧として今に至るのであり、興福寺の憤怒を削いだ少年の様な微笑を湛える護法善神たる阿修羅の境地にようやく重なるものも自らの内面に見出す事が出来る様になった今、益々の精進を心掛けるばかりの愚僧であります。
合掌

密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。