道具とドウグ・仏道と極道に跨るその言葉

※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。写真は自坊本尊、大元帥明王です。

色々な仕事の場面に於いて「道具」あるいは少し丁寧に「お道具」と言う言葉を耳にする事は多いものですが、道具という言葉が仏道を修行するときに具(そな)えて置くべき器物を指す言葉として仏僧に限られた言葉が発祥である事など、知る方は少ないのかも知れません。私なども僧侶になってより初めて知ったものでした。

原始仏教の時代であれば、この『道具』と呼ばれた物など、三種の衣類、食事や托鉢用の鉢、座る時に用いる座具、水をためて漉す漉水嚢(ろくすいのう)の六物がよく知られているところで、私なども托鉢に用いる鉄鉢(てっぱつ)の検分、所作などの儀式を本山の授戒に於いて受けたもので、本来、これを経て初めて街頭へ出て皆さんがよく知る網笠を被っての托鉢を行う事が出来るものです。
(都内など、似非僧侶(アジア系?)の托鉢も問題視され、托鉢禁止の場所も多い)

僧侶の修行の補助となる大切で実用的なもの(初期仏教の時代など、綺羅びやかな法衣は勿論無し)を指した言葉でしたが、インドから仏教が北伝するにあたり寒い気候に対応する為、必要な道具もまた自然と増えて行った様です。

一般の方が道具やお道具と口にする時、やはりそこにはその道や職業でのプロ意識やこだわり、精進を重ねてきた思い入れを感じたりもするもので、仏道から生じた道具の意味をご本人は知らずとも(笑)少なからず言霊として継承されたものもあるのかも知れません。

道具と言う言葉は元極道の私にとってとても身近な言葉でもありました。

それはズバリ拳銃を指す隠語でもあったからです。

道具、逆さにグドウ、チャカ、ハジキ、キカイ、書類、固いの、重たいの、黒いの、などとその時々の場面に於いて隠語を用いて表現していたものですが、よく知られるチャカという隠語を私は好まず、キカイ、もしくはハジキとよく呼んでいたものです。たとえば喫茶店など周りに人が公然といる場面などで『書類を二つ用意しとけ』と小声で指示したとすれば、拳銃を2丁用意しとけという意味になります。

仏教にその発祥の意味を置く道具とはあまりにかけ離れたその転用ぶりに、雲の上のお釈迦様も呆れ果てて苦笑いしているに違いありませんが(笑)見栄と虚勢を張り、刹那的に生きる極道と仏道では対極とでもいうべき真逆の生き方の様ではありながら、ヤクザ教とでも言うべき、親分子分、兄貴舎弟のヒエラルキーが為す疑似家族と、いにしえの時代からのお寺の徒弟制度など世間からある種隔絶されたシステムなど似通うものもあったりで、私などもさしたる抵抗感も無く仏門に飛び込んで行けたものです。

昔などお寺で博打を開帳した名残りなどもテラ銭(寺銭)などと言うその世界の隠語にも残っていたりで、ヤクザの組長をしていた当時なども「あのガキ、舐めやがって、引導渡したれ💢」などと言っていたものが、今では通夜葬儀などに於いて謹んで引導のお作法をさせて頂いているのですから、他人事の様ではありますが、人間、変われば変わるものです。

合掌      

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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