私が虫の知らせとでもいうべき直感でこの方の異変に気付き、最後は吐血、下血の血の海に倒れ、虫の息の中、救急搬送されたのでしたが、日頃よりこの方の身体を慮り、飲酒を咎める様にうるさかった私でもあり、時には台所の下に隠してあった焼酎やウィスキーの全てを『すんません、失礼します』と背中に『何も全部流さんでもええやろ』と、この方の視線を感じつつも、無礼を承知しながら台所に全て流してしまう私だった為か『ハハハ、おかしいのう、ワシなんも悪い事しとらんのやぞ、そんなにワシ身体悪いんか?』と、吐血で口の周りを血だらけにしながらも担架の上からおどける様に私にかけた言葉が意識ある内の最後の言葉となり永の別れとなったものです。
世が世であれば、極道世界最大組織、四代目組長(射殺、死亡)の参謀として執行部入りも夢ではない方でもありました。私が初めてこの方と出会ったのは二十歳間もない頃で、その頃の私はこの方の直系では無くこの方の舎弟の若い衆であり、孫分の様な関係でもありましたが、この当時より直系の子分でも無い私に目をかけてくれたもので、私が抗争で身体を差し出す姿勢あればこそのその世界特有の信頼関係、絆も介在していたに違いありませんが、紆余曲折を経てこの方の晩節には極道渡世の親分、子分を超えて実の親子の様な関わりや心の絆を感じていたものです。極道の世界を礼賛するつもりもその世界に於ける私の体験を美化するつもりもありませんが、この方には人としての赤裸々をまざまざと教えて頂いたものであり、私が極道世界での体験を人間道場と称する所以でもあります。僧侶となった今ではそうした体験の数々も反転して人様の心のお手当に活かせるものとしてしっかり引き出しに収まっている気がいたします。
いつの日か長きに渡ったこの方との邂逅を『人生交差点』にて書く時があるやも知れません。
私の場合、極道の世界での体験あってこその発菩提心、僧侶への転身があったのであって、ヤクザにならなければまたつまらぬ人間になっていたのではないかと思うものです。
相次ぐ芸能人の不祥事の報道をみるにつけ『人間、刹那の所作に全てが現れまた見切られてしまう』と言ったこの方の教えが思い出された愚僧であります。