☆お釈迦様の言葉・ダンマパダより

一般世間からスピリチュアルまでを席巻する『愛』というワード。私もアメブロのタイトルなどに開設当初より『愛こそがチカラ』などと入れているものです。

でも、愛と云う言葉が持つ全てを許容し包含するかの様なイメージに反して、私達人間というのは愛と云う言葉をその時々、自分に都合よくねつ造改竄し、相手を縛り(自分も)コントロールする為の道具に置き換えてしまっていたりするもので、思い通りにならぬと見るや反転して憎しみに形を変え、また逆に憎まれるなどして、愛と呼ぶものが儚く脆い執着の種子である事を身を持って体験している人はいつの時代もてんこ盛りに多いに違いありません。

でも、愛を偏狭な概念に堕落させてでも寂しさから逃れる為に選ばずにいられない、されど心の飢えからも逃れられない、(相手や自尊を失う恐怖)執着から生じる心の流浪を繰り返し、苦の娑婆を右往左往し生きる人間の弱さを『妄執』の一言で喝破したお釈迦様ですが、それでも出家であろうと在俗であろうと執着を断ち心の完成、安心を得る為に珠玉の教えを残されているもので、お釈迦様が入滅されて2500年以上が経過した今もどれだけ科学が発展し世界の構造が変わろうとも、変わらぬ真理として燦然と輝き、人の心をとらえているものです。

ダンマパダより

【愛しきもの】

すべきではないことを行ない
すべきことを行なわず
目的を捨て、欲望の対象に執着する人は目的に向かって進む人を羨む。

他人との交わりにおいて
愛憎の念を抱くな。
愛しい人と別れるのは苦しく
憎い人に会うのも苦しい。

愛しい人への執着を持つな。
愛しい人を失うのはつらいから。愛しい人、愛しくない人と、他人を区別しない人にはしがらみがない。

愛しさから憂いが生じ
愛しさから恐れが生じる
愛しさを離れれば
憂いも、恐れもない。

情愛から憂いが生じ
情愛から恐れが生じる。
情愛を離れれば
憂いも、恐れもない。

快楽から憂いが生じ
快楽から恐れが生じる。
快楽を離れれば
憂いも、恐れもない。

欲情から憂いが生じ
欲情から恐れが生じる。
欲情を離れれば
憂いも、恐れもない。

激しい愛着から憂いが生じ
激しい愛着から恐れが生じる。
激しい愛着を離れれば
憂いも、恐れも生じない。

戒めを守り、見識をそなえ
教えを実践し、真実を語り
自分がすべきことを行う人は
人から愛される。

言葉であらわせない境地(安らぎ)を志し、心は満ち足りて
感覚的快楽に囚われない人
かれは『流れを上る人』と呼ばれる。

※流れを上る人・欲望は激流に例えられ、修行や実践などその激流に抗い打ち勝ち、下流に流される事無く上流に進むことのたとえ。

久しく旅に出ていた人が
遠方から無事に帰って来たならば親戚、友人、親友たちから祝福して迎え入れられる。

そのように、善い行いをした人がこの世からあの世に行ったならば善い行いの果報により迎え入れられる。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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