『ワイルドワイルドカントリー』を観て・稀代の覚者かそれとも狡猾なグルだったのか!?

『ワイルドワイルドカントリー』少し前にNetflixで観た6部構成の長編ドキュメンタリーでしたが、最近観たドキュメント物の中では群を抜いて面白いものがありました。
(Netflix2018年制作)

バグワン・シュリ・ラジニーシ。『OSHO』の名前で世界的に知られる神秘家ですが、このアメブロでもOSHOの格言や講話の内容をシェアする方の投稿などよくお見かけするもので、私なども今の道に気持ちが傾き始めた頃、その当時と言えば現役の極道からは抜け出ていたものの、今で言う半グレの親方の様な事をしていた時期てしたが、それでも貪る様にOSHOの著書を読んだものでした。

100台のロールスロイスを所有していたと言われるOSHO、腕にはダイヤ張りのロレックスを身に着けるなど、この映画の中でもラジニーシプーラムと自らの名前を拝したオレゴン州の一つの市であり、コミューンの中をロールスロイスに乗り、果てしなく並ぶ信者の列の前を手を上げて巡錫さながらに通過して行く様子なども映し出されていたりします。
既存の宗教をブッタ斬り、いにしえの聖人の顔は疲れていると言い放ち、踊りやダンス、歓喜雀躍と静を取り込んだ独自の瞑想法、一切の教義にとらわれず、セックスグルの異名さえ持ち、フリーセックスを容認するなど物議を醸し、全肯定の論理でありながら、世界の宗教の核心から人間の心理までを看破するかの様な慧眼と洞察、ユーモアあふれる人間智。それでありながら仏陀のストイックもしっかり裏打ちされているかの様な独特で時に叙情的でさえあるその論法に引き込まれるものを感じたものです。

でも、私も裏社会と完全に決別し、ヒーラーとしての学びを続けて行く中で、人間の自由意思、個人の契約(スピリチュアルな視点から)団体における契約や縛り、過干渉、侵害のパターンなど、そこに発生する振り子の法則とでも言うものを様々に学んで行く中で、このOSHOも様々にもカルマに見舞われ、赦しのレッスンとでも言うべきものに向き合わされた一人の人間に過ぎなかったのではないのか?と思う様になりました。今でも生きていたなら会いたかった人物の一人である事に変わりなく、傑出(突出)した覚者である事に疑いの念を抱くものではありません。
でも、この無常の娑婆で、『人を依り代とした試みはことごとく失敗する』とは私の持論でもありますが、完璧には行かないものである事を改めて教えてくれる映画でもありました。

この映画自体はOSHOの半生を綴った自叙伝的な内容ではなく、1980年代、インドから渡米し、OSHOの秘書マ・アナンド・シーラの陣頭指揮の元、アメリカオレゴン州で乗っ取りとも言われたコミューンの建設から瓦解するまでの四年間を描いた内容で、このOSHOの秘書シーラの映像やインタビューにも時間が割かれており、半分はシーラの物語とさえ言える内容です。また、このコミューンの弁護士であり、後にOSHOの出版物を統括する人間の証言、シーラと行動を共にし混乱の末に人間性を取り戻したと話す女性サニヤシン(出家者)の証言、当時、広告塔を務めたOSHOに覚え目出度き女性信者の証言、OSHOのアシュラム建設をカルト集団に町を占拠されたかの様に不快感や怖れと共に見ていた地元住民の証言の他、
実際に司法の闘いに持ち込みOSHOを駆逐したと思っている人間、また当時の検察サイドの人間のインタビューなども続き、様々な角度からこのコミューンの姿が浮き彫りになっているものです。

アメリカ国内は勿論の事、ヨーロッパやアジア、日本、世界各地からも信者が続々と集まり、都市部のホームレスまで大量に受け入れるなどして選挙に勝利し、ラジニーシプーラムと自らのコミューンを命名し、独自の市長を擁立し、飛行場、警察、病院までを建設し、瞑想やダンス、フリーセックスまでが交錯する桃源郷を実現したかの様ではあっても、カルトによる侵奪、居座りと異端視する地元住民との軋轢や摩擦が生じ、拳銃やマシンガンで武装し、射撃訓練を行うなど、やがて郡も乗っ取られるのではないのか?とオレゴン州自体の脅威となり、FBIやアメリカの司法を敵に回すところとなり、やがてアシュラムは解体に追い込まれて行きます。
OSHOのカルマも散見される内容で、アメリカでのコミューンの建設、アシュラムの拡大に野心があった事は明らかな様で、それまでの秘書ラクシュミを切り捨てるかの様にやり手のシーラにアメリカのアシュラム建設用地の獲得を一任する場面、また、ハリウッド富豪の一団が莫大な寄進と共にロールスロイスやダイヤ張りの゙ロレックスをプレゼントするなど、OSHOに取り入り、こうした事から自らの立場を危うくする存在と苦々しく思ったシーラの諫言を『神の言葉に従え』と煙たく退けた場面など、稀代の覚者も拝金に心奪われた人たらしと私には映ったもので、極道当時なら『オッサン、銭運んでくる人間、そりゃめんこくなるわな』と皮肉な見方をしたに違いないのです(笑)
またこのハリウッドの医師から依存性のある薬物がOSHOに提供されていた事などにも触れているもので、私が以前読んだOSHOの著作にLSDなど幻覚を伴う麻薬を体内に取り込んでの瞑想に関する一文を目にしていた事から不思議に思っていたものでしたが、講話をやめ、担がれた神輿状態で、ある種引きこもりと化していた当時のOSHOでもあり、ハリウッドの金持ちが提供する麻薬でトリップに浸り瞑想していたとしても不思議ではありません。

何せこの秘書シーラのヤキモチと権勢欲には凄まじいものがあり、数年に渡り講話をやめてしまったOSHOに代わり、コミューンの実権を握ろうと内に外にと闘いを繰り広げるもので、批判的なマスメディアに対しては挑発とも好戦的とも思える発言を繰り返し、最後には立ち退きを画策する地元住民に対しサルモネラ菌をばら撒くなどのバイオテロを行い、やはりコミューンの゙解体を目指す検察関係者の狙撃も画策し、OSHOに取り入るハリウッドの富豪の医師をやはり腹心を使って殺害しようと毒薬を注射したりと、OSHOの部屋はもとより施設全室に盗聴器を仕掛けるなど、疑心暗鬼と報復の論理に取り憑かれてしまうもので、ラジニーシプーラムに対する世論の非難を煽る結果となってしまい、結局はOSHOとの信頼関係も破綻しコミューンから数名の信者と共に飛行機に乗って出て行ってしまいます。
その後、ドイツに入国したシーラと米国にいるOSHOの間でマスメディアを通しての誹謗中傷合戦なども起こり、OSHOもマスコミに面白おかしくいじられる羽目となり、シーラを裏切り者の売女呼ばわりする毒を吐くなど、怒りの感情を露わにします。でも、こうした事から司法の介入、FBIの捜査の入る隙をあたえるところとなり、OSHOもシーラも逮捕され、OSHOは取り調べの段階で刑務所をたらい回しにされ、OSHOいわく、この時に毒を盛られ、放射能ガスを浴びせられたと、真偽はともかく、消耗したのは間違いなく、これが寿命を縮める原因にもなった様で、米国より退去するとの条件付きで実刑を逃れインドプネーのアシュラムに帰り、最晩年の講話を展開した様です。
かたやシーラも逮捕され、OSHOの関与を供述する事も無く、全て自分が行ったものと認め、4年半の実刑を打たれ出所後はスイスにて老人ホームを運営するなど現在は穏やかな時を過ごしている様で、自分のオフィスには絶縁したはずのOSHOと一緒に写る写真が飾ってありました。
この映画を観ていると、OSHO死去数年後にサリン事件を起こしたオウム真理教がOSHOのコミューン、そのシステムを模倣していたのではないのかとさえ思えるほど、問題の根幹で似通うものがあったりと、カルトに限らず、人を神格化し崇めた集まりにはとかく人間の嫉妬や争いもついてまわり、破綻に向けた強い反作用が及ぶ事必至なものがある様に思えてなりません。

私はこのエキセントリックでパワフルで直情径行な悪党を演じたOSHOの秘書シーラに女だてらに身を挺し、泥をかぶった純粋なものさえ感じ好感を覚えたものです。現在はスイスに暮らす老いたシーラはインタビュアーからOSHOとの出会いについて聞かれると『十代の頃、父親に釈迦の生まれ変わりがいると連れて行かれ目の前にひざまずきハグされた時、全てが成就された。その時死んでも後悔は無かったと思う。
私は瞑想もスピリチュアルも興味が無い。一目で恋に落ちた(OSHOに)ただそれだけです』と。
四の五の恨みごとや理屈の付かぬ潔の良い回想に、このシーラの意志の強さと、逮捕服役を経てその後決して会う事の無かったOSHOと過ごした季節が幸せなものとして変換されているものを感じた愚僧であります。
合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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