心理学の分野で『マニピュレーター』と言う潜在的に人を攻撃し操る傾向のある人間を指した性格分析がありますが、エイリアンの種類の様な響きで面白いものがあります。
『仲良しかと思えば、人に悪口を吹き込む』
『友人などへ一見同情を装いながらコトリと意識に深く沈殿する様なやんわりとした人格攻撃を行い悪い方向へ印象操作を行う』
『いつも貴方の味方だからなどとことさらにシンパシーを強調しておきながら、意図的に連絡を断ち無視(既読無視も)する。それでいながら他の仲間や友人と共にいる写真をSNSに投稿するなどして疎外感をあおり逆に依存する様に仕向ける』
『この場面で今それを言う必要あるの!?と言う様な意気消沈させる様な事を言っておきながら、また周囲にその雰囲気を押し出しておきながら貴方の為を思ってなどと言い訳する。時にはセンシティブに涙まで見せて』
『二人でいる時は親切を装い協調的でも周囲がいると公然と批判に転じたり、こちらが視界に入ってでもいないかの様にシカトをする。それでいながら親しげにLINEを送ってきたりフレンドリーを装う事にはマメ。また会っている時とSNSでの投稿の内容が人格の乖離と思える程の落差を感じさせるものがあり、楽しく意気投合したのもつかの間、舌の根も乾かぬうちに企画したイベントや人格攻撃さえしてくる』
『グラウンディングは大切ですよね、私にとっても必須科目ですなどと私の前で言っておきながら、自分のクライアントにはグラウンディングなんて必要ありませんと言ってるのがダダ漏れ』
(私のケース笑)
以上の内容はセッションでお客様より実際にお聞きしたケースですが、こうした相手と接している時と言うのは友達なのか敵なのか?はたまた天使なのか悪魔なのか?と言った具合に相手の真意をつかみにくいもので、嫌味やこちらに対する攻撃と思える事も実は自分を心配し友達と思っているからこそではないのか?💦と思ってみたり、でもやはりその割には言葉にトゲがありすぎると思って見たりと、葛藤と消耗、それでいながら相手の思惑も気になると云った準依存(笑)なループに引き込まれやすい人も多い様です。
スピリチュアルな観点から見ると、こうした自分の心をかき乱しモヤモヤと相手の画像が頭から離れない相手と言うのはエネルギーの過干渉の生じている相手でもあり、エネルギーバンパイア、エネルギーコードを刺されているなどとも形容したりしますが、自らのエネルギースペース、心の平和を確立する為のメンタルトレーナー、砥石の役割を果たしていたりもするものです。
前述のマニピュレーターなどと言う言葉だけ聞いていると、何か緑色したエイリアンとも爬虫類の様なヒューマノイドの姿を私などは連想するもので、血の通った人間の姿が浮かんできません(笑)性格の特性を指した言葉なので当然と言えば当然ですが、ここが大切なところで、嫌な相手にエネルギーを注ぎ込む事は尚更に自分の中で相手を怪物に仕立ててしまう事であり、相手に自分を良く思ってもらおうとか、考え方を改めてもらおうとか、相手のコントロールからは離れて速やかにそうした人間関係からは退出する、干渉を受けぬ様フェイドアウトする術を学んだ方が、物理的にはかくも短き有限の生を生きる我々人間にとって効率的な生き方でもあります。
私なども十代の頃から鑑別、学園、少年院、特少、少刑(少年刑務所)、刑務所、右翼から極道の世界に至るまで身を置いた者で、嫉妬や妬み憎しみ、愛憎劇、裏切りや画策、イジメ、腹黒さ、死に際の赤裸々な姿、弱さ、依存、支配欲、暴力、実らぬ愛情、人格の豹変など、もう数えあげたらキリが無い程に人の赤裸々な姿や内面や感情の相克、葛藤のパターンを見てきた様な気がします。
(当然、自分の中にも)
そんな私にとってそれがエネルギーバンパイアであっても、サイコパスであっても、冒頭のマニピュレーターであっても、総じて血の通った人間として見るもので、自分との関わりがおもわしくないからと、相手の全人格をジャッジメントするのは自分自身の未成熟につながりかねないものがあると日々自らを戒めるところです。
パラノイアであろうと、冷酷な人間であろうと(笑)こちらが知らないだけで圧倒的善念で接する相手がいたり、何の駆け引きも無く愛情を示す相手や家族がいたり、人の面倒見が良かったり、それなりの好人物の評判を得ていたりと、光があれば影があり、出っ張りがあれば引っ込みもあるのが人間と言うもので、勿論、そうした人間から精神的に侵害を受けている人からすればそんな悠長な事を言ってる余裕は無いかも知れませんが、そんな時でもそんな怖ろしい相手も、おいどをまくって(笑)便座に座り排泄垂れるこちらと何ら変わりなき人間であるとイメージして見るなど、発想の転換も大切な様です。
勿論、実らぬ人間関係は厳としてあります。スピリチュアルな観点からも仏教の視点からも。やはり過去世から持ち越してきたカルマ、業にプログラミングされた出会いには違いないもので、速やかにそうした人間関係を断つ、または通り過ぎる事は執着を断ち心の平和を回復する事でもあり、エネルギーの消耗から生じる心身の疲労、ダメージを避ける事が出来ます。相手と友好的な関係を続けて良き友人でありたいと望む事も時に高慢なエゴであると知る事も要所要所で学びの様に突き付けられる私達の生きる世界でもあります。
例えば、同じ職場(家庭の場合も💦)にそうした相手がいたとして、そんな相手の嫌味も『ぜんまい仕掛けの人形が今日もご苦労さんに何か物を言ってる』くらいの達観した姿勢で、こちらの被害者意識、妄想のシナプスを拡げる事なく心の平和を得て日々過ごす事も出来たりします。
(被害者意識、攻撃される怖れへ誘う自我の投影、膨大なノイズを断つ為に瞑想は有効です)
以上書きましたが、友人などに間に入ってもらいこちらの不快な状況を説明し理解してもらえる相手ならそれに越した事はありません。が、しかしながらこうしたクセの強い人間はその時は手を取り『私が悪かった』と涙ながらに謝ってもその時ばかりで根に持ち、また江戸の敵は長崎とばかりに時期を於いて報復してくる傾向などもあり、手癖の悪い泥棒が何度も同じ事を繰り返すそれに似ているものがあると言ったならたとえが悪いでしょうか?
いずれにしても自らの心に葛藤や相手の評価を気にする画像ばかりがモヤモヤと浮かんで頭から離れない毎日を過ごす様な時は相手との関係を見直す一つのサインであるとみなす時かも知れません。
(相手の想念、エネルギーとマッチングしている場合もあり)
合掌
密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。