昨日は秋葉原にて托鉢でした

 

昨日は久しぶりに秋葉原駅前に托鉢に出ました。

この約3年に渡る巣ごもり、忍従の日々を払拭するかの様に国内の老若男女はもとより、欧米からアジア圏に至るまでの人々が目の前を通り過ぎて行くかの様でもありました。

立ち禅の趣のある托鉢。目の前を通り過ぎる人を追う事も無く、持鈴を振るなどの所作はあっても、雑踏に溶け込む様に忘我の時間が過ぎて行きます。

そんな中でも、まだ二十代と思われる若者が『💦あの、聞くんですけど、これって、どんな意味があるんですか?』と尋ねてきた事から托鉢、喜捨の意味を短く説明したり、

黙って鉄鉢に小銭を投じて通り過ぎる人も多い中『おつかれさまです』『ご苦労様です』『有り難うございます』とお寺とのご縁があると思われる方などが声をかけてお布施して行ってくださいます。

ある方は『今、とても苦しいです💦宜しくお願いします』と私が持つ鉄鉢にポケットからまさぐり出した5円をお布施した後で合掌し、深々と頭を下げて行く方もいれば、

『病気を抱えております。宜しくお願いします』とやはり合掌し深々と頭を下げて行く方もあり、仏教国と思われる国の若者など何人もが自然な所作で布施から合掌をして通り過ぎて行き、またやはりアジア圏と思われる少女が鉄鉢に小銭を入れ様と背伸びをしてくる姿にも可愛いものがあり(笑)

少女の先を目で追えば両親と思われる若い夫婦が合掌しこちらに一礼していたり、

また秋葉原と言う事もあってか、メイド喫茶から飛び出して来た様な若い女性が『恋愛成就、恋愛成就❤️』と愚僧を縁結びの本尊と見立てて合掌して行くなど(笑)托鉢と言う短い刹那の出会いの中にも悲喜こもごも、無常の娑婆を生きる人の姿を見るものです。

托鉢も真言宗の場合ですと、我々真言僧がお山と呼ぶ本山の授戒と言う儀式の場に於いて托鉢に用いる鉄鉢の検分や作法を得て初めて行えるもので、編笠をかぶれば誰でも行えると言うものではありません(刑事罰に該当する場合も)

夕方、托鉢をそろそろ終えるタイミングで以前私よりセッションをお受けになられた女性よりお声掛け頂き、近くのファミレスで近況を含め傾聴させて頂いたものですが、先日の告知の通り無料の人生相談としてお聞きするので珈琲一杯のご負担をお願いするところを野菜カレーなどをご馳走になってしまいました。

私のフェイスブックでの投稿などもこよなく愛読してくださっていると言うNさん『極道から僧侶へ、正仙センセの生き方に人としての変容の可能性を見ます』と話してくださったものですが、

それこそ極道当時など、悪どい稼ぎをした人間から金を脅し取る時など『浄財してもらおうか』『引導渡したれ』などと、仏教用語を違う意味で乱発していた私でもありました。

でも、今となってはそうした修羅道に生きた日々あればこその現在であると痛感するばかりで、地獄の沙汰や人の苦しむ姿、色情や嫉妬、執着や欲望、飽食で身を滅ぼすパターン、人の赤裸々な姿に見るどれもが人生道場とでも言うべきもので、仏教、スピリチュアルな学びと共に私の洞察にとても大きな影響を与えているに違いありません。

これからも悩み苦しみの最中にある人に変容の可能性(内面から)を説いて行きたいと切に願う愚僧であります。

Nさん、カレーご馳走さまでした!

 合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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