仏教は宗教ではなく心理学なの?

謙虚に理性的に生きて見る。この姿勢がしっかり身に付けば、別段スピリチュアルで無くとも何らかの宗教に帰依する必要も無いのではないでしょうか?

でも、多くの人にとって、この『理性的に生きる』などと言う事は、言ってる先から実践は無理だと分かるし、何か地見で豊かさにつながるニュアンスを感じる事もなく、せいぜいたまに心に当てる標語程度の認識であり、そんな事よりも、大宇宙の神秘なポータルやゲートが開き、自分にだけ至高の存在からの光が射す事を期待し、ある程度のスピリチュアルの意識的レベルに達していなければ生き残る事は出来ないと言う選民思想に準じるかの様なスピ論も横行している様で、どれほどの差別に根差したものなのか気付いていない場合も多い様です。

こうした『特別性の幻想』に酔う事がスピリチュアルと勘違いしている人は多いもので、肝心の人としての部分はどうかと言えば、人としての悩みや健康上の苦しみを抱えていたり、人間関係に喘いでいたり、貧困だったり、嫉妬や憎しみのループから離れられなかったりと、そこにあるのは貪瞋痴に苦しみ、生滅変化の因果法則、無常に翻弄される人の姿を見るばかりです。

人の別れや関係の解消に於いても『やっぱ、エネルギーの違いだよね💦』『今生でのカルマなんだよね』と、ヒーラーの世界などではよく言われる事であり、その通りと思える事も確かに多いものですが、でも、人間のマインド、自我(エゴ)というものは狡猾なもので、エネルギーの違い、カルマなんだと、スピな言葉で締めくくり、自らの反省すべき点や未熟さには目をつぶり、また繰り返し同じ間違いをするのがポジティブと思っていらっしゃる方も時折お見受け出来るものです(笑)

こうした方と言うのは、案の定とばかりに金の間違い、色情の間違いなどであとあと名前が浮上してくる場合もあったりします。仏教は心の完成を説く因果法則に則った究極の心理学でもありますが、目指すものは怒りや憎しみなどの感情で心を汚さず、理性的に生きなさいと言う事であり、祭事諸々、各宗派による伝統行事など、一般の方々からすれば派手に映るものもあるかも知れませんが、その核にあるのは心の平和、解脱に至る為の心の訓練を行う科学的とも思える心理学的なアプローチです。

今の時代、高説のたまう僧侶よりも、檀信徒の中から贅肉を削いだ真理を探求する者が現れるとの皮肉な見方もある様で戒めとしたいところです。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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