映画『すばらしき世界』を観て

アマゾンプライムで観ましたがとても良い映画でした。
殺人で刑務所に服役し出所した男の苦しみや生活感と言うものを役所広司が好演していたと思います。
現役のヤクザではないものの、人生の大半を裏社会と獄中で過ごした三上(役所広司)は出所後、『今度こそ堅気の生き方を』と誓い、身元引受人である弁護士夫婦の温かさに触れたりテレビディレクターとの出会いなどもあり、幸先の良いスタートを切ったかの様ではありましたが、生活保護、就職へのハードルなど、社会からの向かい風に直面し、『見てみぬふりの出来ぬ場面』で、義侠心に名を借りた暴力に訴える自らの粗さに向き合わされるなど、社会に適応出来ない自分に悶え、やけになりへこたれて行くプロセスなど分かりやすいものがあリました。
そんな時九州で一家を構えるかつての兄弟分(白竜)に電話を入れると『兄弟、身体一つで来てくれたらよか』と空港に出迎えにきた若い衆の運転する車で高級ソープに直行したもので、兄弟分の若い衆からは『オジキ』などと呼ばれ、堅気の世界で馴染めぬ日頃のうさを晴らすかの様に『取り持ち』(ヤクザの接待)に預かる三上でしたが、料亭の座敷で兄弟分と再会を懐かしむ場面などを見ていると、かつてヤクザ世界には、はぐれ者を引き込んでしまう三種の神器とでも言うべきものがあったなと思い出されたものです。
風呂屋(ソープランド)へ連れて行ったり、綺麗どころのいるクラブへ飲みに連れて行ったり、着る物から住む所に至るまで面倒を見る気前の良さは堅気の世界には無いものであり、産みの親の言う事も聞かず不良の性根が染み込んだ人間にとって、社会から隔絶された擬似家族を為すヤクザの世界は暖かく映ったものです。その世界では借りを作る事などを称して『義理を噛む』などとも言ったものでしたが、こうした世話を受けたり恩を受ける事は必然的に対価を生じさせるもので、かつては五分の兄弟分でも世話になっている内に自ら盃を返上し、舎弟でも子分にでもへりくだって、恩に報いると言う不文律な掟、それは誰に言われるまでもなく自らを追い込んで行くプレッシャーの様なものなのですが、恩を受けてものほほんと当たり前然としている様では『ボケている』と周囲からも疎まれる事になりかねず、進んで自らを『型にはめる』事を潔しとする風潮もその世界ならではのものがあった様な気がします。
勿論、中に入り(組織の)舎弟なり若い衆になれば、神経をすり減らす様なヒエラルキーの厳然たる組織のシステムに組み込まれ『究極の宮仕え』とでも言うべき日常が待っているのですが、それでも前科前歴を問わず学歴不問で這い上がれるその世界は魅力的でもありました。

でも、それも今は昔の話し…

暴排条例やその世界を取り巻く状況が峻厳を極めている事など、誰しも知る時代でもあり、この映画の中でも主人公の三上を駆け引き無しに鷹揚と迎える兄弟分も、実は糖尿で片膝から下を切断し車椅子の世話になっている身であり、途中、トラブルが起きたと兄弟分が中座すると、酌をしていた姐さんと呼ばれる女性が『実は組の金を若い衆が持ち逃げして見つけたんだけど逆に警察呼ばれてしまって…兄弟分が来る言うんでウチの人も精一杯見栄を張ったんだと思います』と言う様な内情を三上に耳打ちする様に話したもので、気が付けば威勢が良いと思った兄弟分の組も老いた高齢者の組員の姿ばかりが目立ち、最後は警察沙汰になったところを『戻って来たらいけません、もうウチらはどうなるか分かりませんから💦』と引き止め、金の入った封筒を三上に渡し東京へ帰る様諌める姐御の姿に、今の時代を生きる不毛なヤクザ世界の諸行無常が投影されている様な気がしたものです。
その後三上は改心し前科前歴を理解した上で採用してくれる老人介護の仕事などに就くも、ここでも知的障害を持つスタッフをいじめる現場に出くわしたり、三上が元ヤクザと知らずにヤクザを揶揄したり『指詰め』を笑い話しのたとえに出す同僚に、脳裏ではバーストし暴力で完膚なきまでに叩きのめすイメージでいっぱいになりながらも、辛うじて踏みとどまる三上の姿に、私自身もケースは違いながらも『赦しのレッスン』に向き合わされる時期があった事などが思い出されたものです(笑)
主人公の三上はこうしてようやく素っ堅気の入り口に立ったところで、持病の発作で死んでしまうのでしたが、一般の方からすれば、そこから先を生き長らえる顛末も欲しかったと思うのでしょうが、元極道の私などは自分の人生の支柱を為していたものを捨て去る時、命数が尽きる様に死んでしまう人の姿なども見てきており、それはそれで人の一生。そんな事を改めて思い起こさせる結末の映画でもありました。役所広司と言うと古いところでは『うなぎ』と言う千葉県佐原市を舞台にした映画なども印象に残っている愚僧であります。
合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

 

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