久しぶりに正月興行の映画など観に行ったものでしたが、とても良い映画でした。
『男はつらいよ』の第一作から50周年、そして前作からは22年ぶりとなる今回の新作は山田洋次監督の50作でシリーズを完結にしたかったと言う悲願の込められた内容にふさわしいものだった様な気がします。
主演の寅さんこと渥美清は亡くなって久しいものがあり、甥っ子の満男(吉岡 秀隆)の視点での映画なのですが、当然、昭和に多くが作られた映画であり、CGや合成が用いられている事なども予想され、どんなものかと思って観たものでしたが、いたずらに昭和に寄らない内容で、葛藤を抱えながらも今を生きる者の姿と笑いを誘う名場面(場内爆笑)との交錯が絶妙で、出演する寅さんの妹のさくら(倍賞千恵子)やリリィ役で何度も映画に登場した浅丘ルリ子などもカフェのママ役で登場していたものでしたが、可愛いおばあちゃんながらも物忘れや頻尿を訴える場面などもあり、若い綺麗な頃の映像と今が対比されるものがあり、観ているこちらに50年の月日をまざまざと実感させるものがありました。
でも、それは他の歴代のマドンナを演じた女優にも言える事で、吉永小百合や新珠三千代、つい先頃亡くなった八千草薫や岸惠子、若尾文子、十朱幸代、木の実ナナ、松阪慶子、竹下景子や伊藤蘭、風吹ジュン、中原理恵(懐かしい 笑)、樋口可南子、若き日の田中裕子など『柴又とらや』の暖簾をくぐり寅さんと再会するマドンナ達との邂逅のシーンなど懐かしいものもありましたが、大原麗子や太地喜和子など今は亡き女優の姿、また息子の事件などで報じられる事も多かった三田佳子の姿など、当時は華のある女優だっただけに、スクリーン上の虚像と実人生がクロスするかの様に私などはある面、人の生の残酷さ、人として生きる上で避けて通れぬ諸行無常(無情)を感じてしまうばかりでもありました。
満男の初恋の相手役いずみで50作中後半の映画に何度か登場していた後藤久美子なども出ていたもので、かつての国民的美少女と言われたゴクミも今では45才、演技は相変わらず棒読み的なところはあるものの(笑)美貌は変わらず、まだ少女の片鱗を残していた過去の出演時の映像が今の成熟した姿にオーバーラップされるなど22年の月日の流れを感じさせるに充分なものがありました。いずみの母親役で夏木マリなども出ていたものですが、老いと今を受け入れられぬ葛藤を表現していて、老いたさくらや夫の博(前田吟)、息子の満男、美保純や源こと佐藤蛾次郎の姿、そしてリリィ(浅丘ルリ子)の姿を通して何物かを受容して生きていかざるを得ない人の姿を描いているに秀逸なものがあり、それだけに昭和のその時々を彩った女優と寅さんの姿が際立つもので、懐古の情に引き込まれるものがありました。
私の死んだ父は働き者でしたが酒乱で最後の最後まで母は苦労させられたものです。
そんな父はこの寅さんをTVなどで見てはよく泣いていたものです。また当時タクシーの運転手をしていた父は自分の車に松坂慶子を載せ親しく言葉を交わした事なども自慢していたものでした。
そとづらは良くとも身内にはわがままで厳しい、でも暖かな情を本当は持っていながらどう表現していいのかわからずじまいの男、そんな誰しにもありがちな不健全さと言うものを表現する寅さんに死んだ父は共感していたのかも知れません。東北寒村の貧家の四男坊で生まれた父は中学卒業後、負担を減らす為に追い出される様に実家を後にして蒸気機関車に乗り集団就職で東京へ出てきたと言います。
酔うと「本家が本家が」と、恨む様な言葉さえ呟いていた父でした。そんなくせして実家で親や兄弟親戚一同集まった時のたわいない会話をカセットテープに録音するなど、そのテープに「ふるさとの声」と下手な文字で走り書きしていた父は酔っぱらってはそのテープを聞き涙していたものてす。
暖かくも冷たく恋こがれてもいつけない、望郷の念と憎しみが入り混じった様な思いで父は故郷を見ていたのかも知れません。トランクケースひとつで旅から旅へ、気まぐれの様に柴又とらやに帰ってきても自ら急き立てる様にまた旅へと出て行ってしまう…
そんな寅さんの姿が父は羨ましく、また自らに重ねるところもあったのかも知れません。
そんな事を改めて考えさせられた映画でもありました。
どうぞよろしけれぱお正月の間でも映画館でご覧になってください。脚本も秀逸です。
合掌