☆昨日はグラウンディンゲ講座でした…ヒーリング時に甦る過去生の記憶&エゴに難易度は無い

※ヒーリング時の写真など了承を得た上で掲載しています。
昨日は午前中にトータルセッョン、午後からは個人様を対象としたグラウンディング講座を開催しました。
☆トータルセッション
(スピリチュアルカウンセリング30
分+ヒーリング30分 全60分)
午前中のセッション、30分のスピリチュアルカウンセリングを終えた後は椅子に座ってのヒーリングでしたが、この女性もヒーラーであり、今までご自身でヒーリングを受けた経験も当然あるのですが、ヒーリングの最中と言うもの今までならカラーなどのビジョンを見る事が多かった様です。

でもこの時のヒーリングは「どこへ飛ばされたんだ!?」と言う感じだったそうで…普通の山でない(この人の談 笑)岩肌が剥き出しの山頂にいる自分、鮮やかな朝日とも夕陽とも分からぬ日輪をみており、対目には緑生い茂る山頂も見え、また周囲には他の人間がいるのも知覚しているリアルな情景がそこにあった事などを話してくださったものですが、それはこの方の過去生の一断面、修験者として山駆けしていた時の記憶を呼び起こしている様に私にはお見受け出来それをお伝えしたものですが、ご本人にもしっかり自覚するものがあった様です。

ヒーリングの体感や見るビジョンなど十人十色で個人差もありますが、今まで相当数な方が私よりヒーリングを受けている最中、過去生の自分や時代と思われる画像がリアルに見えた事などをお話しくださったものです。
午後からのグラウンディング講座も引き続き受講される事から、昼食をご一緒した後で再びサロンに戻り、グラウンディング講座LEVEL 1を受講して頂きました。
グラウンディングと言うと、大地や地球の中心とつながり安定した心身や体感をもたらす事を知っている方は多いものですが、それだけでは日々発生しやすい人間関係などから生じるショックだったり、憎悪とも嫉妬ともつかぬ感情だったり、ネチネチと答えの出ぬ長引く感情の起伏を経験する時、安定をもたらすはずのグラウンディングも感情の相克に減殺されてしまいアンカー(錨)と成り得ない時があります。
「エゴに難易度は無い」とはグラウンディング講座でよく言わせて頂く事でもあります。たとえば、朝の出かけ間際など、くだらぬ事で夫婦ゲンカや親子で言い争いをしてしまい、気分をリフレッシュ出来ぬままに帰宅し、仲直りするはずがまたケンカの上塗りをしてしまう時など、日中仕事はしている様ではあっても頭の中は朝の出来事を繰り返し再現したりで、答えを出そうとするのだけど、どうにもスッキリ出来なかった経験など、きっと誰しにもあるのではないでしょうか…?
またもっと深刻なケースで、たとえば身内の誰かがそれこそテレビの画面の中「サスペンス劇場」の中だけの事とばかり思っていた身代金目的の誘拐に遭い、恐喝され、警察に通報すれば殺すと言う相手の言い分に従い金を作るべきか?それとも警察に通報すべきか?引くも地獄、進むも地獄の様な状況の中、極度の神経衰弱でドテッ腹に風穴があいた様なショックで食事も喉に通らず、眠れぬ時、他の一切を考える事など出来ないに違いないのです。
これは極端なたとえに違いありませんが(笑)
朝の痴話喧嘩と身内の誘拐では受けるインパクトやその深刻さのレベルに於いても歴然とした差があるのは明らかです。
でも…

痴話喧嘩と誘拐でレベルの差はある様でありながら、「頭の中を占有されてしまう」と言う事に於いては「等同」なものがある

のです。
つまり、恐れに起因するものは思考を奪う働きがあり、次から次へと同質の不安や恐れに思考を分裂加速させる働きがあり、これはエゴ(自我)の好むところでもあるのです。
誰しも一度や二度は些細な事から猜疑心が湧いてきて事実確認もしないままに相手を攻撃してしまい後味の悪い経験をされた事などあるのではないでしょうか…?
こうした時、マインドの中では負の思考のスパイラル、ジャッジや自己欺瞞、被害者意識、世間から見た倫理や正義感などが渾然一体となったかの様に分裂を繰り返す作業が行われ、特定個人への報復の念に形を変えたり自分への攻撃に姿を変えたりもします(物を壊すなど破壊行為も)
エゴによって常に目の前にあるもの「されてしまいがちな私達人間にとって、ジャッジや裁きなどという大上段な言葉ではなくとも、常に比較検討したり価値判断の渦の中で生きている事は間違いのないところであり、比べる事から生じる小さな違和感や差別性、あからさまなものからフェイクされた敵意などにさらされる事も多く、こうした積み重ねがストレスや憤懣やる方ない経験をした時など、他者への激しい攻撃に転嫁、投影されるものがある様です。
自分の感情を知り、時に未成熟なものを感じる自分を赦す事はとても大切です。でも、感情のなすがままに無軌道に身を委ねる事とそれは違うものであり、批難や攻撃、対立や中傷に分裂を繰り返す様エゴは巧妙に仕向けてくるもので「感情こそ真実なのだからそれに従え!」などと言う暴力への免罪符さえ用意するのがエゴの論理で、自分の想いを思い通りに伝えられなかったと言う様な小さな青春時の蹉跌さえ相手に原因があったと、この世の被害者に落とし込み酔わせてしまうのもエゴの産物、世間を騒がせる殺傷事件の犯人の心情過程や精神構造にこうしたケースが見られる場合があったりもします。
普通の方からみれば「エゴといったところで所詮自分自身の事で管理可能な事で取り立てて騒ぐ事でもなかろうに…」と思われる方が多いかも知れませんが、一個人の物を盗ったとか盗られたとか言う様なものではなく、競争や対立、闘争へプログラミングされた磁場と言うものが縦横無尽に張りめぐされている星がこの地球であり、お釈迦様が「苦の娑婆・しゃば」と呼び、イエスキリストが「意味の無い夢を見ている様なもの」と看破したのも、争いや狂気に翻弄するエゴの本質を見極め、この世界が「幻想」であり、肉体の向こうにこそ真実があると大悟したからである事に異論の余地は無い様です。
破壊と再生の星と言われる地球、諸行無常とはこの地球自体を形容する言葉でもありますが、物事を悲観的に見るとかネガティブに過ぎるとかそんな次元の話しではなく、「エゴの力学」を理解しなければ真の豊かさも心の平安に至る事も相叶わぬ事は、かつては裏社会にいてハードな人の末路や顛末を見てきた私にはスピリチュアルの名を借りずとも、あまりにも腑に落ちるものがあるのです。
こうした事から、エゴや恐れを分裂投影させぬ為のメンタルイメージの浄化はとても大切であり、講座の中でグラウンディング自体と双璧を為す大切な事として実践、実習して頂く内容でもあります。
またこうしたエゴの餌食にならぬ上で誰しにもある内なる神であり教師、聖霊であるハイアーセルフに日々問いかけ指針を求める事はとても大切な事であり、これもグラウンディング講座で繰り返し解説させて頂く事でもあります。
混乱や変化著しい時代の中でグラウンディングが心身の安寧をもたらし、覚めて生きる為の乗り物に成り得る事など多くの人が気付き始めているものを感じる愚僧であります。
                
                                                                                                
                                                                                               合掌
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