昨日の富岡八幡宮の事件に想う事

富岡八幡宮
 
深川不動が隣接している事から、この神社にも訪れた事があります。
広い境内、歴史もある神社のはずなのにさっぱり感じずの御神氣…
 
それ以来2度と行く事はありませんでした。
 
宮司の座を巡り姉と弟での骨肉の争いが原因との事ですが、普段より、「穢れを嫌う」とのたまう神職の身にありながら、日本刀まで持ち出して境内で斬殺に及ぶ事など、そこにあったのは間違いなく、「ないがしろ」にされたと感じる事から生じる報復の論理であり、極道社会の抗争といったい何が違うのでしょうか?
 
姉だった宮司を殺した弟も元宮司、自ら切腹する様に自殺した事は次回輪廻の宿題としても、せめてもの救いだったのかも知れません。
 
歴史ある神社、大きな鳥居をくぐり、その日その時の希望を託す市井の人々がいると考えたなら、何故こんな凶行に及ぶ事が出来るのでしょうか?
 
所詮は神社のてっぺんに座ればウマイメシがたらふく食える、「神社は自分のもの、絶対に渡さない!」そんな適者生存の論理、エゴの台本に踊りに踊らされたなれの果ての様な気がしてなりません。
 
聖地と崇められる神社やお寺も、言葉が悪い様ですが、仕切りは、屁もたれれば糞もたれる、人間がしているのです。
 
神社、お寺の静謐で荘厳な雰囲気に重ねるかの様に神職や住職と交流を持ったばかりに、雑だったり、とんでもないエロな光線(笑)を向けられて被害にあったと言う女性なども、今まで何人も私の元へ訪れてきております。
 
聖職者であろうが、宗教家であろうが、神職であろうが、住職であろうが、スピリチュアルな先生であろうが、明け透けに人ととしてのそれを見る、そんな心眼養いたいものです。
 
勿論、それは取って返す様に自らにも向けられるべきものでもあります。
 
ちなみに親子で争いを繰り広げ話題になった大塚家具、以前家具など購入した事もあります。そうした事から色んな催しやキャンペーンなどのチラシがいまだに届きますが、その内容に、親子の係争の表面化以降、低迷から抜け出せていないものを感じたりもします。
 
会社などに於ける親子、兄弟、骨肉の争いは多いもので、どちらかが勝ったかの様に溜飲を下げるのも束の間、いずれ低迷し潰えてしまうパターンと言うものも世に知れず多い様です。
 
 
合掌

 

 

 

 
タイトルとURLをコピーしました