☆昨日は大元ヒーリング講座でした…聖霊に委ねるヒーリングとは?

                    
 
※大元ヒーリング講座実習時に於ける指導時の様子
 

 
※ヒーリング講座実習時の写真など了承を得て掲載しています。

 

                       
 
※受講生によるヒーリング実習時のヒトコマ
 
昨日は午前中よりヒーリングルーム吉祥にて大元ヒーリング講座を開催いたしました。
 
昨日は整体のお仕事などをされる男性が受講してくださいましたが、大元ヒーリング講座を修了された方も復習を兼ねて参加してくださるなど、楽しく活気ある雰囲気の中でヒーリングの授業を進める事が出来ました。
 
ヒーリング講座の時と言うのは、ルームをシールド(結界)し安全な空間にして授業を進めて行きます。
 
それでもヒーリングのエネルギーの磁場も出来る為、受講されている方など、個人差はあるものの、身体に暖かさを感じたり、火照る感じ、手のひらや足の裏にあるチャクラがジンジンと活性化される感覚を体験したり、ヒーリングの実習時などはまして、自らの身体を通してエネルギーの流れる明らかな体感を得たりと、そこに新鮮な感動と言うものもある様です。
 
※スピリチュアルな心得がないお客様やヒーリングなどで今まで体感を経験した事のない方などでも、セッションルームで私の対目に座るだけで、「足の裏が熱くなる」「足の裏が床に引き付けられる感じがする」と感想を話してくださる方が今まで何人もいました。
 
ヒーラーの中には、自らが受講したセミナーやスクールのヒーリングのメソッドに純粋な方も多いもので…
 
「私の流すヒーリングは〇〇の周波です」
 
「私のヒーリングは〇〇のエネルギーです」
 
「私のヒーリングは〇〇神のサポートを受けています」
 
「私のヒーリングは〇〇先生よりアチューメントして頂いた特別なエネルギーを用いています」
 
「私から流れるエネルギーは〇〇レイキです」
 
等々…
 
皆自分が信じた教師やセミナーで体得、ダウンロードしたヒーリングのエネルギー(氣・周波・エナジーなども同じ)がクライアントやヒーリーに作用し癒しやヒーリングを起こしているものと信じて疑わないものです。
 
でも、こんなところにもエゴは「特別性の幻想」と言うものを用いて幻惑してくるもので…
自らの施術、形なきヒーリングのエネルギー、自らが学んだヒーリングやスピリチュアルな団体、またその仲間こそがスピリチュアルで輝いていると言う様な幻想に陥りやすく、それが他のエネルギーワークやヒーラーへの微妙だったり、あからさまなジャッジや差別を生じさせている場合もあります。
 
でも、こうした考えと言うのはそのヒーリングを統括する団体などからすればもっけの幸いなところもあり、カルト教団の信者が、盲信的に信者獲得の為に違法行為にまで手を染める姿と言うもの…ヒーリングやスピリチュアル、サイキックを教える諸流派が、そこまでの先鋭化されたものはなくとも、主宰する側からすれば、他のヒーリングとは違う神秘性やクオリティがあると信じこませたい、酔わせておきたいと言うものが見え隠れする時もあるもので…
 
競い淘汰する論理まかり通る事に於いてはヒーリングもスピリチュアルもへったくれもないのです。
 
希望や理想を持って鳴り物入りで来日した外国人講師やスピ系の出版社などが主催するヒーリングセミナーなどに参加しても、一定の要因をみたさなければプラクティショナーや施術者としての認定を取り消すかの様な後付けの縛りの規則を設けられる場合も多い様で、「スピリチュアル」「愛」「癒し」「宇宙」などのワードで酔わせておいて、結局はエゴをまざまざと見せつけてくる矛盾するかの様な事象に、希望を失なったり、資格やプラクティショナーやマスターの認定を返上する人などもいる様です。
 
元極道の私などは、あまのじゃくな性分も手伝ってか(笑)それが神社やお寺、スピリチュアルな団体であろうとも、神や仏、天使やアセンデッドマスターを掲げ様とも、その団体の仕切りが人間である以上、エゴを元とした雑な部分やアラに相当する部分を必ずと言って良い程発生させているものを感じたりします。
 
それはエゴの持つ「振り子の法則」とでも言うべき人の集まるところに発生する不条理な団体の整合性とでも言うべきものであり、「寄らば大樹の陰」で脇目も振らず、自らが所属するスピリチュアルやヒーリングの団体や教師などを信奉している人間は別としても、気付きの進んだ人間は、そうした制限や制約をもたらす磁場でのセッションを嫌う様になるものです。
 
私などは思ってしまいます…。
 
ヒーラーも「人としてどうなのか?」がとても大切だと言う事を…
 
もう一つ言わせて頂くなら、優れたヒーラーは聖霊(内なる神・ハイアーセルフ・ホーリースピリット)との繋がりをとても大切にしていると言う事でもあります。
 
ヒーラーは酔いたいものです。
 
自らの施術がヒーリーを癒しているんだと…
 
負けず嫌いの私などはアウトレイジな世界から抜け出て、ヒーリングを始めた当初、こうした幻想に取り憑かれ、葛藤を感じた事もあったものです。「自らの力で効かせてなんぼの」の驕りと言うのは、パワーゲームへと人を追いやる事に於いて、ヒーラーであろうが、加持祈祷を行う行者や僧侶であろうが等同なものがあるのです。最後は罪悪感によって、躁鬱を発生させたり、病気を発症させたりと自らを痛めつけるもので、本来心の平安、平和を説くべき立場にありながら、自らの心の平安は相叶わぬ矛盾に身を置き続けなければなりません。
 
私がヒーリング講座の前段として、グラウンディング講座を設けているのは地球の中心と繋がり心身やエネルギーの安定、エネルギーの浄化を学んで頂く意味もあるのですが、そうした事と共に自らの聖霊であるハイアーセルフとの繋がりをしっかり強化して頂きたい想いもあっての事です。
 
「結果を手放す」とは概念や標語としては理解しているヒーラーの方は多いかも知れませんが、それでも心のどこかでは自らのヒーリングや施術があればこそもたらされる癒しや改善実例と期待するのも人間の人情と言うものでもありますが(笑)
でも、私のヒーリング講座では、自らがヒーラーとしてエネルギースキルを使い癒しを与えているかの様に思いがちになるそこにも光を当て、そうした思いが湧き上がる度にメンタルから浄化して行く事なども繰り返し教えさせて頂くものです。
 
真のヒーラーはクライアントやヒーリー自身であり、ヒーリングにより癒しや変化変容と言うものもヒーラーが形を与えている様ではありながら、ヒーリー自身によるところが大きいものです。
 
また癒しのプロセスと言うものもあますところなく聖霊の知るところであり、「結果は私には分からない、全て聖霊にお任せします」と言うハイアーセルフに結果や癒しの全てを明け渡すスタンスでのヒーリングの指導をさせて頂いているもので、こうした事は、自我の介入による施術後のヒーラー側にとかく発生しやすい、未消化な思いを防ぎ、結果に執着せぬ事がかえって良質なヒーリングの場を生み出し、癒し癒されるヒーリングの醍醐味を、ヒーラー自身が体験出来る事も多くなるものです。
 
また昨日一人の大元ヒーリングマスターが誕生しました。
 
受講された男性や補講を兼ねて訪れた女性を駅まで送ると、綺麗な虹が出ていたものです。
 
私には波乱万丈の果てに、私の元を訪れたこの男性の前途を祝福するかの様にそれが思えたのでした。
 
合掌

 

 

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